樹木希林とジャニス・ジョプリン

樹木希林ジャニス・ジョプリンは同い年(1943年生まれ)で誕生日もわずか4日違い(それぞれ1月の15日と19日)。そう言われると、声も何となく似ている気がしてきた。だから内田裕也が惚れたのかと思わないでもない。

cakes連載「一故人」では、樹木希林をとりあげた際、彼女と演劇史のかかわりにも少し言及した(各メディアの追悼では、岸田森と結婚していたことも含め、そこに触れたものをあまり見なかったので)。樹木が当時の夫の岸田森と参加した六月劇場の最終公演には、高校を卒業したばかりの松田優作が裏方にかかわっていたとか。とすれば、樹木希林はおそらく内田裕也よりも先に松田に会っていたことになる。

cakes.mu

最初の日本シリーズの開催球場は?

NPBのオフィシャルサイトで、1950年に開催された最初の日本シリーズ(セは松竹、パは毎日が出場)では、対戦チームが互いの本拠地ではなく、試合ごとに球場を移動していたことを知って驚く。しかも移動日は後楽園での第2試合の翌日、東京から関西に移動する一日だけ。第4試合は西宮球場で、第5試合を名古屋の中日球場で行なったのち、翌日にはまた関西に舞い戻って大阪球場で第6試合と、当時の交通事情を考えればかなりの強行軍である。

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『新婚さんいらっしゃい!』初代司会者は月亭可朝だった

新婚さんいらっしゃい!』は当初、月亭可朝をメイン司会に始まったということを、文春オンラインのこの記事を書いたとき初めて知った。

bunshun.jp

現在まで司会を務める桂文枝(当時、三枝)はサブ的ポジションからスタートしたものの、番組開始から数ヵ月後に可朝が唐突に参院選に出馬して降板したため、急遽メインへと昇格したとされる(ちなみにこのときの参院選では、可朝と同じく落語界から立川談志も出馬、談志が全国区で最下位当選したのに対し、可朝は落選している)。

ただ、下衆の勘繰りながら、『新婚さんいらっしゃい!』のスタッフは、可朝がいずれ何かやらかして番組を降りることを初めから何となく想定していたのではないか。当時売り出し中の三枝をサブに据えたのはそのためという気もするし、何より、タイトルに「いらっしゃい!」と三枝の持ちネタを掲げたあたり、可朝をメインに始まった番組としてはどうも不自然な感じがするのだが、どうか。

文春オンライン連載「ご存知ですか?」2018年3月分一覧

『小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~』

このあいだの日曜(25日)にNHKBSプレミアムで放送されたドラマ&ドキュメンタリー『小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~』がなかなか面白かった。ドラマパートで小野田寛郎の役に扮したのが塚本晋也と、小野田が赴任したフィリピンでの激戦を描いた映画『野火』の監督を選んだあたり(『野火』の舞台はレイテ島、小野田が残ったのはルバング島と場所は違うとはいえ)、配役の妙を感じた(小野田に投降を命じた上官の役が崔洋一と、これまた映画監督だったのは偶然なのか)。

小野田寛郎を発見した冒険家の鈴木紀夫については、以前、小野田の追悼記事を書いたときにちょっと調べたことがあるものの、雪男を追い続けた後半生を中心に初めて知った事実も多々あった(夫人が『大東亜戦争肯定論』で知られる作家の林房雄の娘ということには驚いた)。雪崩に巻き込まれて亡くなるという最期は不幸と言うしかないが、夫人も母親も番組中、生前から現在にいたるまで彼の生き方を全面的に肯定していたことに救われた気がする。

『BIG tomorrow』の休刊を知る

BIG tomorrow』、今年の1月号で休刊していたのか。3年前に同誌が創刊35周年を迎えたときに、デビューした年が同じということでとんねるずの二人がインタビューに登場し(先日のエキレビ!の拙記事でも引用した)、石橋貴明が最後に《ちなみに今回、35周年の記念号でしたっけ? では、ぜひ、また10年後くらいの記念号? の時にも呼んでください(笑)》と締めていたというのに、先に雑誌がなくなってしまうとは。

tablo.jp

www.excite.co.jp

ちなみに、とんねるず二人そろってのインタビュー記事というのは、私の調べたかぎり、ここ数年では『BIG tomorrow』以外に2本ぐらいしか見つからなかったのだけれども、そのうち『SWITCH』あたりで特集が組まれるのではないかと予想。同誌ではこれまでも、『いいとも』を終えたタモリ、『報道ステーション』をやめた古舘伊知郎の特集号が出ているので、『みなさんのおかげでした』が終わってからのとんねるず特集、十分あると思います。