娼婦のようにさりげなく(2)

 午後から、京橋のフィルムセンターへ行く。今月は《フィルムで見る20世紀の日本》と題されたプログラムのもと、同館所蔵のフィルムがいくつかのテーマに分けて上映されており、ぼくが観に行ったのは「築く」というテーマの回。大阪市営地下鉄御堂筋線の建設を追った戦前(1935年)の無声映画をはじめ、戦後の上椎葉アーチダム(宮崎)、東京タワー、霞が関ビル、そして同センターの本館である竹橋の東京国立近代美術館と、各建造物が築かれる様子を撮ったフィルムが連続上映された(まあ霞が関ビルのフィルムは、当時のニュース映画の1スポットのため竣工を伝えるだけだったが)。地下鉄工事以外はすべて日本の復興・高度成長期の記録であり、しいていえば「プレ・プロジェクトX」といった趣きだろうか。そして、どのフィルムにも産業の発展への謳歌が読み取れた。
 たとえばダムの記録映画では、このような山奥にも近代文明の象徴たるダムが出現したといったナレーションがかぶせられている。まあ、ダムに水が貯められる様子をどこか寂しげに眺める山里の老人と子供の1ショットもあるにはあったのだが……ただし何のフォローもなし。そのまま映画は、建設を請け負った鹿島建設の社長・鹿島守之助が、このダムから発電される電気によりますます人々の生活は豊かになるだろうと、誇らしげにダム竣工を発表するシーンで終わる。
 東京タワー建設のフィルムについては、今朝方、『日本の高塔』で兵頭二十八の解説を読んでいたので、いささか醒めた目で観る。
 兵頭氏いわく、所詮、当時世界一のエンパイヤステートビルの高さを凌駕することなど日本では不可能だった(いまだってそう)。ならばモデルとしたはずのエッフェル塔を越える美しいデザインこそ追求するべきだったのに、結局、エッフェル塔の高さを凌駕するということだけが求められた。それもほんの十数メートルだけ。だがそれで日本国民は自己満足してしまった。東京タワーはそんな近代日本人のせせこましい西洋コンプレックスの現代における記念塔であったし、今日までもなおその精神構造は変わらない、と。
 う〜む、さすが憂国の士らしいご意見である。でも、そんなダメダメな東京タワーをこそ、ぼくも含めて大方の日本人は愛しているような気もする。
 霞が関ビルの竣工を伝えるニュース映画はシネマスコープでけっこうド迫力だった。ただし最初のスポットは、当時(1968年4月)盛り上がりつつあった紛争の最中に行なわれた東大の入学式のニュース。そんな若者による反逆が世界各地で目立った時代――のち「68年革命」とまで呼ばれる時代――に日本のメガロポリスのど真ん中に建てられた霞が関ビルというのは、まさにモダニズムの象徴だった。効率、機能性を追求しあらゆる装飾を排除した結果、あのようなデザイン的には箱型で何の面白味もないものが建てられたわけである(かつて霞が関ビルは数量のものさし――「霞が関ビル何倍分」などといった具合にもののたとえによく使われたが、それにしても容易に数値化できる、あのような形態だからこそだろう)。それはまさしく近代(モダン)の行き着く果てだった。ようするに当時の全共闘学生なんかはああいうものにシンボライズされるものを否定しかかったというわけだろう。
 また映画の中でビル内部の空調などはすべて「電子頭脳」で管理されているとの説明があったが、当時コンピュータは人々を徹底管理するものとして反体制側には捉えられていた。まあアメリカなんかでは、そういった政府や企業によるコンピュータの開発によるアンチとして、カウンターカルチャーの影響をもろに受けた若い連中がパソコンなんてえもんをガレージでこさえたりしたんだが、日本の全共闘世代でそういったことを志向した連中がいたって話はあんまり聞かないねえ。
 さて、この翌年に完成した近代美術館もデザイン的にはあまり面白くない。美術館というのは後年のポストモダンの時代にあっては、世界各地でさまざまな建築的な実験が試みられた施設といわれているが――その代表的なものがパリのポンピドゥーセンターだ――竹橋の美術館は皇居のお濠端ということもあってか、奇矯なデザインではまったくない。
 だけどあの美術館、ブリヂストン石橋正二郎が国に寄贈して開館したってんだから、太っ腹だなあ。
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 帰りがけ、フィルムセンター近くにあるINAXギャラリーの書店で、INAXの出してる建築雑誌『10+1』第19号とマグダ・レヴェツ・アレクサンダー『塔の思想』(河出書房新社)を買う。
 うれしいほどいいお天気なので、このまま真っ直ぐ帰るのももったいないととりあえずしばらく歩くことにする。どこへ向かおう? そうだ、どうせなら霞が関ビルに登ってみようと、京橋から霞ヶ関まで歩き出す。
 京橋から丸の内のガード下をくぐり抜け、オフィス街へ。右手に国際フォーラムを左に眺めながら(ああ、もうすぐここのステージでチャック・ベリージェームス・ブラウンが共演するんだなと思いつつ)そしてさらに真っすぐ行けば皇居にぶち当たる。やっぱり皇居はでかい。それを多くの車が一斉に迂回しながら走ってるんだから、そんな光景を見た外国人が思わず「東京の中心には大きな空虚がある」といったとしてもおかしくはない。
 ぼくも迂回して行けばいいものを、何だかいつもここへ来ると皇居前広場へ向かってしまう。皇居の持つ引力というべきか。何てったってここは一日中人が少ない。平日の昼間ともなるといるのは外国人観光客がほとんどというのも面白い(明治神宮もそうだが)。
 桜田門から再び道路に出ると、国会議事堂近辺で左折。議事堂前を横断し、坂を登り下って、どうにか霞が関ビルにたどり着く。「特別警戒中」といたるところに表示があって、ちょっとびくびくしながら中へ入っていく。しばし一階をうろうろしながらエレベーターを見つけ、一気に最上階である36階まで向かう。先に見た映画での紹介にあった通り、きっかり36秒で到着。さっそく降りてみたものの、ありゃ、どうやら最上階にはオフィスが入っているだけで展望室みたいなものはないらしい。
 がっかりしながら1階に戻り、各階の案内板を確認すれば、一般人が展望できるのは35階にあるレストランぐらいのようだ。う〜ん、でも何だか値段が高そう……ってことで今回は展望をあきらめる。
 霞が関ビルを出て再び国会前に出る。日は暮れかけているが、もうしばらく歩こうと半蔵門方面へと向かう。暗闇の中、濠の向こうに見える皇居は何だか島のようだ。
 半蔵門を通りすぎ、やがて満開の桜があちこちに並ぶ場所へ……そうか、ここが千鳥が渕公園か。花見の人々をまわりに眺めつつ、公園をぶらぶら歩く。
 公園を通過し、さらにまっすぐ北上。一番近くのJRの駅はどこだと地図を探し、飯田橋までとりあえず歩くことに。靖国の前に出る。九段下も花見の人々で結構にぎわっていた。神社の鳥居の前にはフランス人らしき団体もいたし。
 その後、どうにか飯田橋に到着。総武線で帰る。
 それにしても今年の桜は早い。うっかりしているとすぐに散ってしまいそうだ。