「80年代ブーム」批判序説

こないだ近所の書店を覗いたら、『Invitation』と『NAVI』がそれぞれ80年代特集を、『別冊宝島』の『音楽誌が書かないJポップ批評』がYMO特集を組むという具合に、時期をおなじくして80年代をフィーチャーしていて「なんだかなあ」と思ってしまった。
『Invitation』の80年代特集*1は「はてなダイアリー」でも結構とりあげている人がいたので、ぼくが改めて紹介するまでもないかもしれないが、『NAVI』の特集タイトルは「80年代に帰りたい」である。もうね、思わず、「そんなに帰りたきゃ勝手に帰れよ」ってツッコんじゃったよ。
一体、昨今の「80年代ブーム」とは何なんだろうか? ひょっとして、どこかの広告代理店なんかが裏で操っているのだろうか。
そもそも「80年代ブーム」なんていうのは何もいまに始まったことではなく、少なくともここ10年は続いているのだ。だいたい『Invitation』の特集でとりあげられていた村上龍の『昭和歌謡大全集*2にしろ岡崎京子の『東京ガールズブラボー』にしろ、あるいはケラリーノ・サンドロヴィッチナイロン100℃の上演作品として『1980』に先立ち手がけた『1979』にしろ、みんなことごとくいまから10年前、1990年代前半の作品である。ちょうど同じ時期には『STUDIO VOICE』が「YMO環境・以後」と題し、YMOを中心に据えて80年代初頭のカルチャーシーンを総括していたし*3、その直後にはYMO自体が「再生」し、テクノポップテクノ歌謡の再評価が行われた。また、ぼくがかつて編集に携わっていた雑誌で、編集長が「そろそろアーリー80'sが来ていると思うんです」と会議で言っていた時からも、すでに7年が経つ(ちなみにその発言を発端に企画されたのは山崎春美の特集だった)。
というか、80年代は始まったとたんにその総括が始まった時代なのだと、いとうせいこうあたりがすでに1990年ぐらいに言ってたような気がするんだけど。たとえば村上春樹は、1987年に出したエッセイ集をすでに『‘THE SCRAP’――懐かしの1980年代』と題している。そう、80年代は80年代のうちからとっくに「懐かし」の存在になっていたのだ(これには80年代末における昭和の終焉とその直前からのレトロブームというのがけっこう深く関係しているのだと思うのだが、長くなりそうなんで、また別の機会に譲ることにする)。
そんな80年代という時代の特異性を考えないで、いまさら「いま、80年代がブーム!」なんて言ってるやつは正直いってバカだと思う。結局、現在の「80年代ブーム」とやらは、10年前、あるいは20年前の「80年代総括」のコピーとかダミーみたいなもんだ。いや、何度もダビングを重ねすぎて劣化したテープ、といったほうがしっくり来るかもしれない。ただ、10年前と現在とをくらべて何が一番変わったかといったら、いまの40代ぐらいの世代――いわゆる新人類・第一次おたく世代がやたら愚痴っぽくなったということだろう。それによって昨今の「80年代総括」も、やたらとあとの時代や若い世代に対する愚痴っぽいものになっている。いわばダビングテープのノイズみたいなものか(笑)。おーい、誰かちゃんとマスタリングしてくれ。

*1:ぼくとしては、あの特集に中森明夫氏が登場したのはちょっと意外だったのだが。同誌編集長の菅付雅信氏は新人類時代の中森氏の周辺にいた人だから、たぶん自らの落とし前をつけるという意味もあって中森氏を登場させたのかもしれない

*2:村上龍の『昭和歌謡全集』という小説自体は直接的に80年代にリンクしているわけではないが。それにしても『69 sixty-nine』といい、最近村上龍作品の映画化が目立つ。というか、いままで龍作品が映画化される場合、ほとんど作家自らがメガホンを取っていたから、みんななかなか映画の原作として手を出せなかったのだろう。そういや『エヴァンゲリオン』って、もともと村上龍の『愛と幻想のファシズム』をアニメ化するつもりが、結果的にそれはとても無理だってことになって、あの企画が生まれたんだっけ

*3:1992年12月号。同誌はその後1996年にも80年代特集を組んでいたが、ぼく個人としては前者の特集のほうがよっぽどよくできていたと思う。何より、ぼくに80年代カルチャーに対する幻想を初めて抱かせたのがあの特集だったのだから