「われわれ」と「ぼくたち」のあいだ

さて、続いて放映された『ルポルタージュにっぽん』について。これは、東大闘争のさなか1968年11月開催の東大駒場祭でポスター(そのキャッチコピー「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男 東大どこへ行く」が流行語にもなった)を手がけた橋本治が、そのちょうど10年後に東大闘争とは何だったのかを当時の関係者にインタビューしたもの。『NHKアーカイブス』では今年5月にも、おなじ『ルポルタージュにっぽん』の枠で(放映もおなじく1978年)、ボブ・ディラン来日を機に、村上龍がディランや彼の活躍した60年代末という時代について、ミュージシャンや当時の活動家など様々な人物に訊ねてまわった企画が再放送されているが(くわしくはここの5月11日付の日記を参照)、これはその続編といった感じ。しかし、日大全共闘のリーダーだった秋田明大に会った際、自分はかつてあなたに憧れて何かしようと思ったのだと、当人にやや熱っぽく伝えた村上龍に対して、「あの時代は(闘争には参加せず)布団かぶって寝てた」と正直に語る橋本治とではやはりスタンスが違った。
実はぼくは、この番組が放映されたことを以前から知っていた。というのは、『ぼくたちの近代史』(河出文庫)という講演録で*1橋本治自身がこの番組でレポーターを引き受けた経緯や会った人たちとのやりとりを紹介しているのを読んでいたからだ(考えてみたらこの本を初めて読んだのはぼくが高校の時分で、それから10年を経てようやく今回初めてこの番組を見る機会に恵まれた。いやー、長生きはするもんだ)。
あの本でも紹介されていたように、《情念で芸術やってる》難しい言葉で語る相手(芥正彦*2)とさっぱり会話が成立せず、ついには「たかがポスター一枚書いただけで来るなよ」みたいなことを言われる場面や、闘争当時、東大学長代行だった加藤一郎が「いまにして振り返れば、あれも思い出ですね」と言ったので、「ああ、思い出だったんですか」と橋本がそのまま何の気なしに返すと、相手は絶句してしまう……という場面など、結局、誰も「あの闘争」をちゃんと自分の中で整理できていないことが次々と明るみにされる。別に橋本治は鋭く突っ込んだり、発言に対して切り返したりしてるわけではなく、派手な衣裳*3のせいか軽薄な人間にすら見えるのだが、なぜか相手はポロッと正体をさらしてしまうのだ。インタビュアーとして、これほど怖い人物はいない(ああ、あやかりたい)。その意味では、先述の村上龍のレポートよりこの番組はずっとスリリングだった。
ところで、橋本治はこの番組を次のようなコメントでまとめていた。

ぼくはあの当時のことを話すのに「ぼくたちは」というような言い方をしちゃったけれども、本当は(闘争を)やってた人にしてみれば、ここへ来てぼくのような全然関係なかった人間が「ぼくたちは」なんてこと言えば頭来るに決まってるんですよ。でも、ぼくとしてみれば、布団かぶって10年間孤立して何やってたかって言ったら、再び「ぼくたち」というようなことを言いたいがためにずっと布団かぶって自分に決着つけようとしてたわけだから……だから、やっぱりぼくは、「ぼくたち」というようなことを言いたいですね。

この発言は、彼がのちに『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』や、あるいはさっきもあげた『ぼくたちの近代史』といったタイトルの本を書いていることを考えると興味深い。そういえば、「ぼくたち」「ぼくら」という人称代名詞は、ちょうどこの番組が放映された70年代後半に登場した『ポパイ』といった若い男性向けの雑誌で頻繁に使われるようになった言葉ではなかったか。そして、『SPA!』の特集タイトルなど、現在にいたるまで「ぼくたちの〜」という言い回しはあちこちで見られる。
しかしそれ以前、学園闘争の時期によく使われていたのは、けっして「ぼくたち」ではなく、それよりずっと固い感じのする「われわれ」「われら」という人称代名詞だったはずだ。それが70年代に入って、「ぼくたち」へと変わっていった。「『われら』の時代」から「『ぼくたち』の時代」へ――そんな時代と時代との橋渡しをした人物こそ、まさに橋本治だったのではないかとぼくは思うのだが、どうだろう?

*1:講演自体は1987年に池袋コミュニティカレッジで6時間にわたって行なわれたもの。ちなみにこの講演会を企画したのは当時コミュニティカレッジの社員だった保坂和志

*2:演劇家だそーですが、私はこの人のことよく知りません。そもそも演出家でも劇作家でも役者でもなく、「演劇家」という肩書きが何かイヤですな。

*3:たとえば東大闘争当時、文学部学長だった林健太郎とのインタビューでは、橋本は自作と思しき『がきデカ』のこまわり君のセーターを着て出演。そのセーターが、「あの当時、大学構内には毛沢東の写真なんかが飾られて、まるでマンガのようだった」と林が発言したとたん、クローズアップされたのがおかしかった。そういえば、あのセーターって、自作の映画化である『桃尻娘』(主演の竹田かほりが可愛かった!)で喫茶店のウエイター役を演じた時も着てたよな。