『ワラッテイイトモ、』をワラエ!

遅ればせながら、代官山ヒルサイドフォーラムで開催中の「キリンアートアワード2003」を観に行く。
もちろん最大の目的は、今回、この公募展で審査員特別優秀賞を受賞し、一部で話題を呼んでいる映像作品『ワラッテイイトモ、』である。この作品、著作権・肖像権に触れるということで、この展覧会では特別バージョンで公開されるというのだが、果たしてどうなったのか……。
会場には、3台のモニターが用意されており、そのうちの2台は本編というか作品が流されていたのだが、何とまあそのほとんどの画像――その多くは『笑っていいとも!』からサンプリングしたもの――にモザイクがかけられていた。で、それを補足するべく、画面に何が映っているのか説明するテロップがもう一台のモニターから流されるといった具合。さらにモニターの後ろの壁面には、『10+1』誌に掲載された同作についての五十嵐太郎による批評が掲示されていた。まさに苦肉の策といった感じである。大手企業が主催する公募展である以上、このような処置はまあやむをえないのであろう。
しかしそれでも……いや、だからこそ気になった点があった。
それは作中、作者が『笑っていいとも!』の始まる時間に新宿アルタ前へとカメラを携えておもむくシーンが出てくるのだが、そこで映し出される街中の一般人、あるいは番組オープニングでアルタ前にいる群集を撮影するカメラマンなどといった人物の顔には一切モザイクをかけられていないのはなぜなんだろう? 本当に「肖像権」を考慮するならば、こういう人たちの顔にもモザイクをかけるべきではないか。まさか、『笑っていいとも!』に出演するような芸能人には「肖像権」が認められるが、「一般人」にはその権利は認められないとでもいうのだろうか?
そこで思い出すのは、ぼくの友人の父親のエピソードだ。彼の父親がある大手新聞社に勤めていた時のこと、マッド・アマノのいわゆる「パロディ裁判」が起こった。これは、マッド・アマノが、雪山の写真に巨大なタイヤの写真――ブリヂストンの広告で使われたものだという――を、それがさも山を転がっているようにコラージュした作品(どうやら公害問題を訴えたものらしいが)に対して、雪山を撮った写真家が著作権侵害だとして訴えたものである。これに対して、くだんの友人の父親が同僚に発した質問がふるっていた。何せ「このブリヂストンのタイヤを撮ったカメラマンの許可はとらなくていいのか?」というものだったのだから。
ぼくはこの話を聞いて大笑いしてしまったのだが、よくよく考えてみると、これほど著作権の問題の本質を突いた話もない。著作権というと、とかく名のある作家や作品のみにつきまとうものだと思われがちだが、実際には匿名のカメラマンによって撮られた広告写真はいうに及ばず、幼稚園児の描いた絵にだって立派に著作権は認められているのだ。
だとすれば、今回の『ワラッテイイトモ、』に対する「処置」はどうだったのだろう? 著作権・肖像権に抵触しないよう展示するのであれば、やはりここは徹底して、芸能人のみならず「一般人」の顔にもモザイクをやはりかけるべきだったのではないか。なにを教条主義的な、といわれるかもしれないが、しかし、作者本人にとっても、群集の風景という、一般的には肖像権が発生しないと思われる映像(だからこそテレビでは、特別な事情がないかぎり何の配慮もなく、日常的に群集の風景を撮った映像が流されているわけだが)にまでモザイクをかけることにより、今回の主催者側の過敏ともとれる反応に対して、逆に皮肉っぽくふるまうことも可能だったはずである。何より、著作権や肖像権の定義のあいまいさをより強くアピールするには、上記のように逆説的に「処置」を徹底するか、あるいはいっそそのままモザイクなしで展示して訴えられるのを待つ(裁判が実現すれば、美術史的には赤瀬川原平の「千円札裁判」以来の“イベント”になることは間違いないだろう)、ということぐらいしか方法はなかったような気がするのだが……。
――以上、門外漢の意見でした。
そんなわけでぼくは明日、とあるカフェで『ワラッテイイトモ、』全編がこっそり公開されるというので、名古屋へ行ってまいります。