推定少女こそ、おニャン子クラブの正統たる嫡子である!(覚書)

閉店間際のタワレコ新宿店で『別冊宝島』の新刊『音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』を買う。
まあ、『ベッタカ』がこういう企画をやるだろうということは、「はてな」で、東浩紀氏がおニャン子をテーマに原稿依頼が来たけどあまりに忙しくて泣く泣く断ったとか、栗原裕一郎氏が延々と嫌いなおニャン子の曲を聴くはめになったとか書いているのを読んで、薄々気づいてはいたけれど。ちなみにこのシリーズ、次号特集は「バンドブーム」だそうで、前号のYMOと今号のおニャン子に続いて、これで80年代前期・中期・後期の日本の音楽シーンにおける代表的現象を一通りとりあげることになるわけですな。
それはそうと、この『音楽誌が書かないJポップ批評31 おニャン子クラブと永遠のグループアイドル』をざっと眺めてまず気づいたのは、秋元康がユニット名をつけ詞も提供しており、間違いなく現在におけるおニャン子の正統たる嫡子であるはずの推定少女について、どの論者もとりあげていないということ。まあ、たしかに推定はモー娘。みたいなグループアイドル=「束もの」じゃないけどさあ。
だけど先月出た1st.アルバムに収録された推定少女の「BABY BABY」は、あきらかに秋元が元おニャン子高井麻巳子とのあいだに一児をもうけたことをきっかけに詞が書かれたものだろうし、少女の性を歌ったという点ではデビューシングル「しょうちのすけ」のC/W「はじめてのブラジャー」(アルバム未収録。この歌はぜひ反児ポ法のテーマソングにするべきでしょう)はおニャン子の「セーラー服を脱がさないで」の系譜につらなるものだと思う。
ただ、推定少女はハダカに近いスタイルでデビューし、制服のイメージが定着した現在でもなぜかセーラー服は着る気配がないため、オヤジどもがセーラー服を脱がそうにもその余地はまったくないわけですが。そもそも秋元康がプロデュースにかかわってるとはいえ、彼女たちは本当に自由にやっている(ように少なくとも見える)ので、プロデューサーの影がきわめて薄い。
これがちょっと前の90年代後半であれば、プロデューサーがアイドルと同列かそれ以上に目立っていた。考えてみれば、それとほぼ同時期には、援助交際だ何だかんだと少女たちの野放図な行動が取りざたされていたけれども、その裏には当然「援交するオヤジ」がいたわけで、そのことと90年代後半が「プロデューサーの時代」だったということとはやっぱり切り離しては考えられないとぼくは思う。そしてそれに対して、プロデューサー=オヤジたちの手からより遠くへ遠くへと突っ走る推定少女に、ぼくは「援交少女」や「コギャル」以後の少女像を見出さずにはいられないのだ*1(よく推定少女の元ネタだと半可通からいわれるt.A.T.u.は、プロデューサーの影がやたらと目立つという点で、まだまだ「援交少女」の域を出ていない。推定少女のほうがよっぽど先端を行っている)。
と書いてはみたものの、これは持ち上げすぎというものか……??? いーや、おれは原宿アストロホールでの初ライブに行きたいがために推定少女のファンサイトにまで入っちゃったんだから、これぐらいは書いておかねばバチがあたる。
そんなわけで、推定少女についてはいずれ、さらに本腰を入れて書いておかねばと思ってます。

*1:その一方でぼくは、コギャルの全盛期にとどめを刺したのは、後藤真希が加入したころのモーニング娘。だと考えているのだが、これについてもまたいずれ。