9月23日に生まれて

BUBKA』1月号を買う。同誌はこの1年ぐらい毎月買ってるのだが、ここ最近なんだかカルチャー誌っぽくなってるような気がするなーと思ってたら、今月号には阿部和重のインタビューが載ってて、さらにその感を強くする。
でも阿部和重にインタビューするにしても、その切り口はあくまでも『BUBKA』流。新作『シンセミア』から盗撮やセルビデオの話を引き出したり、さらには作中に出てくるロリコン警官はハロプロ好きな作者の分身ではないかという質問をぶつけたりしたのは、『BUBKA』がたぶん初めてだろう。
ハロプロに関する話の中では、阿部氏が自分と後藤真希は誕生日がおなじで他人とは思えない、なんてことも語っていて興味深い。そういえば、阿部氏の処女作『アメリカの夜』には、作者の分身ともとれる主人公の唯生が、自分の誕生日である「九月二十三日」が「秋分の日」だということが、「特別な存在」である自身を約束してはくれまいかなどと思いをめぐらすくだりがあったっけ。ただし『アメリカの夜』では、主人公は自分とおなじ誕生日の著名人ということで、ジョン・コルトレーンに「運命的な感情」を抱いていたが、その対象が現在の阿部氏の中ではすっかりごっちんへとシフトしてしまっているようだ。たとえばこんな具合に。

ごっちんには、オレが女の子だったらこうなりたかったという思いを勝手に託しているんですよ。そういうふうに思わせるものを彼女は持っていて、とくにソロになってからのライヴを観ていると、『これしかない』と説得されてしまう。まさに女の子の理想形だと思いますね。

ぼく自身はモー娘。を卒業してソロになってからごっちんのファンになったクチなのだが、この阿部氏の発言を読んで、その理由がわかったような気がする。おそらく阿部氏の言うように、現在のごっちんファン(男女問わず)は多かれ少なかれ、彼女に対して自分の理想とする女の子像を見出しているはずだ。