「目的」からふたたび「手段」として ―ぼくが『ZAMDA』をウェブジン化する理由

『ZAMDA』ウェブジン化の告知をとりあえずHPに掲載する。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/3488/kyukoku.html
このことについては常連の執筆者の何人かにはすでに伝えてあったものの、公式にはようやくの発表となった。ウェブジンへの移行の理由としては、上のリンク先のページにも書いたように、印刷費をはじめ経済的負担が大きいことがまず一つあるのだが、実は本当の理由は別のところにあったりもする。
そもそも自分の書いたものをできるだけ多くの人に読んでほしくて、ぼくは『ZAMDA』を創刊したのだが(それはぼくにかぎらずミニコミ誌を出そうという人間なら誰もが思うことだろう)、それを実現するには紙媒体のミニコミ誌ではやはり限界があった。何しろミニコミ誌はただでさえ売る場所がかぎられるし、自分がぜひこういう人に読んでほしいという希望をかなえることとなるとさらに難しい。もちろんホームページを介して通販を受けつけるなどして、希望に近づけることはできる。しかしたとえそうしてみたところで、特集ならともかく一本のコラムを読みたいがために、送料も含めてけっして安くない金を出してまでミニコミ誌を買ってくれる人などそうそういないのもまた事実だ。
たとえば、あるキーワードで検索をかけて、本誌のHPの総目次にたどり着き、そのキーワードに関するコラムがある号に載っているのを見つけたからといって、本誌を買おうと思ってくれる人が一体どれくらいいるのか? たいていの人はネット上で読めないなら仕方ないと、そこであきらめてしまうだろう(そのコラムだけが読みたい人にとっては、ほかの記事や特集のページなど単なる包み紙にすぎないのだから……というのはいいすぎか)。しかし本来ならそのキーワードで検索をかけてHPにやって来てくれる人こそ、それに関する文章を書いた者にとってはもっとも希望とする読者なのだ。ぼくとしては、自分はこれまでその手のたぐいの読者をずいぶんと逃してきたような気がして、非常に苛立たしい。自分の文章を読ませたくてミニコミ誌をつくったのに、あまりにも書き手と読者のあいだに障害となるものがあってその文章が読んでもらえないなんて、まったくもってくやしいではないか。だったらいっそ、金なんかもらわなくていいから文章をすべてネット上にアップして、自由に読んでもらったほうがいい。そこで『ZAMDA』のウェブジン化を思い立ったのである。
もちろんネット上に自分に文章を掲載したからといって、即しかるべき人に読んでもらえると思うのは幻想にすぎないし、あまりにも傲慢だ。むしろ、たとえ読んでもらえなくても出し続けようとする強い意志こそ必要なのかもしれない。しかし強い意志以前に、紙媒体で出し続けるにはやはり金がかかる。果たしてもともとない金をほとんどつぎ込んでまでミニコミ誌を出し続けるメリットはあるのか。実はぼくはライターとしてのプロモーションということも念頭に置いてこれまで『ZAMDA』を出し続けてきたのだが、その狙いはほとんど外れた。新しい仕事なんて来やしねえ。なけなしの金をはたいてプロモーションして一銭も儲からないなんて、はっきりいってモチベーションが下がる。
モチベーションが下がるといえば、いまのところ本誌の最新号である第11号(8月発行)にはぼくは自分の署名原稿を一本も載せられなかった。というのも編集作業に追われてしまって、肝心の自分の原稿まで手が回らなかったのだ。これでは一体何のために『ZAMDA』を創刊したのかわからなくなってくる。当然、自分の原稿が載っていないということで売ろうというモチベーションも下がる。
とはいえ、紙媒体というのは特集なり目玉になる企画がないと、よっぽどのことがないかぎり売れないし、売りにくい(それに特集がないと雑誌の志向するものや個性が見えにくくなるというのもある)。そのため特集を組むことは必然となってくるし、おのずとそれを統括する人間=編集者が求められることになる。それを誰がやるのか。まわりにその役割を引き受ける人間がいなければ、自分がやるしかないではないか。たとえ本当は書き手をやりたくても。ぼくとしては、それがまた窮屈だった。もちろん編集作業も楽しいといえば楽しいのだが*1、ぼくはあくまでも自分の文章を発表する手段としてミニコミ誌という場をつくったはずなのに、号を重ねるごとにだんだん書き手としてよりも編集者としての役割が大きくなり、雑誌を出すことそのものが目的となってきてしまった。これでは本末転倒である。そこでもう一度初心に帰るべく、ウェブジン化を思い立ったのだともいえる。
そんなわけで、ぼくはいま一度手段としての『ZAMDA』に立ち返るべく、これからウェブジンへと本誌を移行させたい。できればそんなにコストをかけずに。ただしウェブジンとはいっても有料サイトにしたり、特定の読者のみにメールマガジンやFDPマガジンとして送ったりするのではなく、あくまでも多くの人に読んでもらうため、サイトを無料公開することしか考えていない。またその一方で、紙の雑誌には紙の雑誌としてのよさが当然あるので――たとえば長い文章を読むにはやはり紙媒体のほうが適しているように思う――一年に一回ぐらいは増刊などといった形で紙媒体として本誌を出し、コミケ文学フリマなどにも参加はしていきたいと考えている。しかしそれもまた手段にすぎないことは言うまでもない。
それにしても『ZAMDA』を出してきたこの4年間というのは、ぼくはあまりにも『ZAMDA』にウェイトを置きすぎた。だから正直なところ、次号を出したあとはしばらく、いささか内輪化しつつあった『ZAMDA』の外へ出てぼく個人の仕事に専念したい。ぼくが理想とするのは、その仕事がさらにウェブジンに移行した『ZAMDA』へとフィードバックしていくことだ。そう、ぼく個人の仕事と『ZAMDA』が互いに上手く補完し合うことができれば、万万歳なのだが……。
まあ、これでもし失敗してしまったのなら笑わば笑え。ケセラセラ

*1:というか、ぼくは本来原稿書きと編集とを両立させることを目指していたはずなのだけれども……。