青春とある時代の終焉?

と、そこへ飛び込んできたのが広末涼子結婚の報。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/dec/o20031212_5.htm
それを聞いて、ふと、ひょっとしておれたちの世代の青春はこれで終わったんじゃないかと思ってしまった。
あれは何年前だったか、劇団ひとりを初めてテレビで見た時のこと(おそらく彼がピンになったばかりのころではないか)、彼が17歳の時――1994年というから、おれが初めて雑誌に原稿を発表したのとちょうどおなじころだ――から芸能活動をしているということとともに、今後の夢として広末涼子のために劇を書きたいというようなことを言ってて、ここにも同世代がいる! とやけに共感を覚えたものである*1
とはいえ、「広末涼子=おれたちの青春」と言い切ってしまうことに対しては、同世代からは賛否両論ありそうだ。しかし、広末がデビューしたばかりのころに一度でも自らの青春を彼女を捧げようと思ったのなら、おれは最後まで責任をとれと言いたい。広末にかぎらずアイドルは多かれ少なかれ同時代の青春の体現者という面を持つ存在だとすれば、やはり彼女ほどおれらの青春をもっともわかりやすく体現し続けてきたアイドルはいないのだから*2。そんなわけでおれは、彼女を否定することは自らの青春をも否定することである! と、ここは一つ言い切ってしまうことにする(本当ならここでもっと説明しなければならないのだろうが、徹夜明けで頭がもーろーとしてるのでご勘弁いただきたい)。
ところで青春の体現者といえば、そのもっともわかりやすい例として高度成長期の吉永小百合があげられよう*3。広末が早稲田大学に入学した際、何かと比較されたのがほかならぬ同大卒の吉永小百合だったわけだが、彼女が離婚歴を持つフジテレビのディレクターと結婚したのは、ちょうどいまから30年前の1973年のことだった。彼女の結婚は世の男性ファンたち……いわゆるサユリストたち*4を嘆かせるとともに、おそらくその年に起きた第一次オイルショックとともに高度成長期という一つの時代の終わりを人々に実感させたことだろう。それと今回の広末の結婚とを重ね合わせるのは、あまりに安直にすぎるかもしれない。しかしおれはここで、今回の広末涼子の結婚は、ある意味において30年前の吉永小百合の結婚のパロディになっているのではないかと考えたり、あるいはイラクへの自衛隊派兵とともに彼女の結婚が一つの時代の終焉を象徴しているのではないかと言ってしまいたい衝動につい駆られてしまうのだ。
そうだ、時代の終焉という意味では、先月下旬より広末がつかこうへい作・演出の舞台『飛龍伝』で全共闘の議長を演じているということにも何か宿命のようなものを感じる。あれもまた一つの時代の終焉を描いた物語ではなかったか。もちろん劇中の役と広末本人とが完全に重なるわけではないのだが、自身の結婚発表と、そしてイラク派兵が決定した時期に彼女がこの舞台に立っていたということは、のちのち象徴的に語られるのではなかろうか。たとえば、「思えばヒロスエの結婚のころというのが、日本という国の大きな曲がり角だったのだなあ」てな感じで*5

*1:ちなみに劇団ひとりの所属事務所が太田プロだということも、系列会社である太田出版出身のおれとしては親近感を覚える。さらに蛇足ながら、おれが太田で最後に提案した企画が「『Quick Japan』の表紙で広末に綾波レイのコスプレをさせる」というものだった。まあこれはほかの雑誌でもおなじことを考えていた人がいたようだが。

*2:たとえば高校時代の広末が宮台真司の著書を愛読し、ついには『週プレ』で宮台センセと対談までしたことを君たちは忘れたか!?

*3:今年「NHKアーカイブス」で再放送された『YOU』の「青春プレイバック」で、吉永小百合が「たしかに自分は映画の中で何度も青春を演じたけれども、実生活ではなかなかそうもいかなかった」と語ったのに対し、インタビュアーの糸井重里は「でも多かれ少なかれ、映画に出ない普通の人だって青春を演じてるところがあるんじゃないですか」というようなことを言っていた。

*4:おそらくその中核となる団塊の世代には、マルキストよりもサユリストのほうがずっと多かっただろう。おれの親父(団塊よりやや上の世代だが)もまったくのノンポリではあるが、サユリストの一人だし。

*5:つーか、オウム事件――あれもオウムというカルト集団と日本という国家との一種の戦争でもあったわけで――の95年に脚光を浴び始めた時点で(デビューはその前年)彼女は戦後の後のさらに後の時代を象徴していたのだともいえるし、だとすれば彼女に「セカンドインパクト」後に生まれた綾波レイに扮してもらおうというおれの提案もあながち的外れではなかったんじゃないかと。