今年の抱負、のようなもの

年賀状制作のかたわら一昨日のコミケで買った本を読みふける。
そのうち、ひとみのモスコミューン本部の『Kluster』Vol.2(詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/hitomisiriing/20031226)とサブカル堂の『サブカル評論』第5号にはぼくも寄稿しているのだが、両者の原稿はぼくの中で一応セットになっている。
Kluster』では、「バブルの産湯でオギャーオギャー ―〈バブル期〉をめぐる覚書」と題してバブル期をざっと俯瞰し、その最後にバブル崩壊から阪神大震災オウム事件の起きる直前までの1991年〜94年ぐらいの時期の重要性(特にサブカルチャーの変質といった意味での)を少し指摘しておいた。さらにバブル後のこの時期に一体何があったのかについては、『サブカル評論』に寄稿した「カミガミの黄昏 ―いわゆる一つの〈一九九三年〉序論」で1993年を象徴的な年として一通り説明している。ただしそれぞれ「覚書」「序論」という形式にしたのは、両者ともいつか本論として書こうと思っているテーマだからだ。
実はその本論ともいうべき文章は、すでに「いわゆる一つの戦後・後史」というタイトルで、自分が編集長を務めるミニコミ誌『ZAMDA』で一昨年末より連載を始めている。しかし昨年は結局その続きをまったく書けなかった。構想としては成田空港開港と日本のポップスの変革の年だとされる1978年から、90年代半ばぐらいまでをとりあげるつもりでいるのだが、一体いつ完結するのやら……。とりあえず近刊(ただし発行日は未定)の『ZAMDA』第12号に掲載予定の第2回では、80年代初頭に「TOKIO」と歌われた東京がバブルを経て、どのように変化を遂げたのかを追ってみるつもりでいる。
さらに、『サブカル評論』の原稿でサブカルチャーの変質が象徴的にあらわれた年だとした1993年についてはいずれ、文献を集めて分析するだけでなく様々な人から証言を集めてまとまったものを書きたいと思っている(それは坪内祐三の『一九七二』などに対するアンサーともいうべきものになるかもしれない)。これまたどれぐらい時間がかかるかわからないが、まずはどこか連載できるところがないか探してみるつもりだ。
なお、これらの企画の必要性を、『Kluster』の仲俣暁生氏(id:solar)のインタビューの最後の部分を読んでいたらより強く感じるようになったということもつけ加えておかねばならない。そのこと以外にもあのインタビュー記事は実に示唆に富むものだった。

しかし『Kluster』や『サブカル評論』を読んでいたら、改めて雑誌(もちろん紙の)をつくりたいという思いがふつふつとわいてきてしまった。まあ『ZAMDA』みたいな形でなくても、ミニコミ誌づくりは今後も続けるような気はするんだけど。