飲んで夢みてまた飲んで うたい続ける四十坂*1

とはいえ、物書き――中でも小説家でも大学の先生でもない、どこにも所属しないフリーのライターが生き残るというのは想像以上に難しいことなのではないか。それも40代というのはライターにとってやはり一つの大きな坂なのだということを、最近ひしひしと感じる。実はそのことは中森氏がすでに先にあげた共著書の中で、当時40代後半にさしかかっていた全共闘世代を引き合いに出して語っている。いわく糸井重里亀和田武橋本治など戦後生まれの書き手たちは、文壇や学閥とは無関係のところから出てきてすごく新しいカルチャーヒーローに見えたのに、10年経ってみれば、ある者は埋蔵金の発掘者、またある者はワイドショーのコメンテーターであったり大学の教授になってしまったりとみんなすっかり落ち着いてしまった、と。

この落ちつき方というのは、三〇歳から四〇歳の間に何かがあるとしか思えない。まず、一つは“生活の問題”があると思うんだ。三〇のときは、いつまでも独身でやっていけるさなんて言えるけど、四〇になるとそうも言っていられなくなる。その間に結婚して子供ができたりとかね。たとえば子供の入学式のことを考えたりとか。社会的な立場で言えば、どこにも所属していないことが苦しくなってくる。
何にも属さないことに耐えるには、それこそ橋本治のような奇人でなければというね。
(中略)
結局、単にライターでいられないから、例外的に怪人になるか、何か訳が分からないルートに行くか。みんな、そこらへんでヘンなモノになっちゃうんだね。団塊の世代の人たちは、あんなに多種多様に、大勢いたのに、だいたい、一〇年前よりカッコいい人なんていないでしょ?
(田村・中森・山崎、前掲書)

それからまた10年が経ち、あの当時の全共闘世代とほぼ同年齢に達しつつある新人類世代が似たようなことになっているのは皮肉としかいいようがない。新人類世代で10年前よりカッコいいといえる人が果たして何人いるのだろうか? いや、たしかに全共闘世代よりは物書きとしての“上がり方”は多種多様になっているとは思う。たとえば上に引用した本の中で中森と山崎浩一の対談相手を務めた田村章は小説家・重松清として山本周五郎賞直木賞を受賞する一方で、ゴーストも含めたライターとしての活動も続けている(中森はそんな彼を「直木賞ライター」だと称賛した)。ほかにも、何にも属さず、かといって奇人・怪人ともまた違った存在としてはみうらじゅんなどがあげられるだろう。また唐沢俊一なども、みうらと同様の意味で理想的なポジションにいると思う。とはいえ、結局のところ彼らは例外的な存在なのかもしれない。そう考えると、部屋を借りる際に苦労した経験から大学講師の肩書を常に持っていようと決めた大塚英志などは、カッコいいかどうかは別にして、賢明だなと思ってしまう。
実は上記引用のあとで、中森は思想や批評の世界で実績を残しつつも学校の教師だった経験が一切ない吉本隆明を、(その思想の内容はともかく)ライターの一つの手本となっているとして評価しているのだが、後年、中森氏が慶大で一年講義を受け持ったと知った時、ぼくは「中森さん、転向したな!」と思ったものである。だがその反面、先生でもやんなきゃ食っていけない年代にさしかかったのかなと思ったのもまた事実だ。それは中森氏だけでなく、竹熊健太郎氏が現在多摩美で講師を務めていると知った時も同様のことを感じた。別に講師になったことを責めるわけではない。竹熊氏などは近著『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』を読むと、マンガの表現の研究にあたって大学での講師の仕事が非常に役立っているようなので、それはそれで大いに結構なことだと思う。しかし、それなりに名をあげたライターが本職であるはずの雑誌での仕事だけで生活できないとなると、自分の将来を考える際に何を目標にすればいいのかと暗い気持ちになるのだ。これにはやはり雑誌の刊行数が減り、書籍の売上も落ちていることも影響しているのだろうか――?*1

*1:案外、ライターとして生き残るには下手に有名になるよりは、リライトやゴーストライターなど無署名での仕事をどこかでずっと抱えていたほうが有利なのではないかと、重松氏などを見ていると思う。下手に名をあげてしまうと、若い編集者が仕事を振りにくくなるというのはおそらくあるはずだから。