「太陽族」を命名したのも大宅壮一なのか

きのう久々に入った近所の古本屋で講談社刊の『大宅壮一エッセンス』2・3・4・6巻と、岡井耀毅『評伝 林忠彦 ―時代の風景』(朝日新聞社)を買う。前者は各100円で売ってて、思わずまとめて買ってしまった(あとでネットで見たら、このシリーズが結構な値段で取り引きされていることを知る。といっても僕が買ったのは欠番がある上にあんまり状態もよくないのだが)。この選集は大宅の死後、1976年に青地晨扇谷正造草柳大蔵・三鬼陽之助といった大宅のかつての友人や弟子たちが編集したものだが、思った以上に面白い*1。たとえば手塚治虫を、「阪僑」(東京に出て華僑よろしく金儲けに励む大阪人を大宅はこう名づけた*2)の一人として紹介した雑誌記事などは、以前からその存在は知っていたものの*3今回初めて読んだ。ほかにも長野をドイツに、岡山をユダヤに、大分をスペインに見立てたりする大宅流風土記「土地のボルテージと人間のボルテージ」など単純に読み物として楽しめる。また、第2巻巻末の社会学者・加藤秀俊によるエッセイでは、大宅から《本というものは、いったん手に入れたら、絶対に捨てたり売ったりしてはいけないよ、……どんな本でも、いつか、かならず役に立つことがあるのだから》と忠告を受けたというエピソードが記されていて、以前ぼくが考えた「大宅型」と「植草型」という二種類のタイプ分け(http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/3488/nitijo020902.htmlを参照)がこれで完全に立証されたように思った。
とはいえ、雑誌図書館やノンフィクション賞にその名を冠されるなどこれだけ名前の残っている人なのに(ほかにも報道における中立公正主義や、ジャーナリズムの世界に日々生まれては消えていくジャーゴンなど、大宅自身の思想とはまた異なるものになってしまっているとはいえ、彼の残したものは大きいというのに)、その作品そのものはいまやあまり読まれてはいないのではないか。現在すぐに入手できるものといえばせいぜい、角川文庫に入っている『実録・天皇記』とちくま文庫半藤一利が編集した『昭和の企業』ぐらいだろう。これを見ているとノンフィクションのある種の宿命を感じる。
きょう買ったもう一つの本『評伝 林忠彦』は、これからちょっと書くつもりでいる原稿の資料として購入。パラパラと眺めていたらたまたま開いたページに、名古屋の老舗「中村写真館」の主人で、地元の写真界の重鎮でもあった海部誠也という人物の名前が出てきて、それが元首相・海部俊樹の父親であることを初めて知った。そのくだりによれば、彼はアマチュア指導にも力を入れていて、そこに集まった中には中学時代の東松照明もいたという。そこでふと、中学生の東松照明とほぼ同年代の海部俊樹が写真館ですれ違うといった、山田風太郎の小説めいた光景を思い浮かべてしまった。

*1:山藤章二による装幀も、大宅の似顔絵が描かれたカバーに新聞記事を型押ししたわりと凝ったものになっている。

*2:大宅自身もまた大阪出身の「阪僑」の一人なのだが。

*3:手塚治虫の自伝『ぼくはマンガ家』にも、大宅から「阪僑」だといわれたという話が出てくる。