蛇足に草鞋を履かせてみる

で、遅ればせながら同誌最新号に寄せた拙稿について補足というか蛇足説明をば。今回の原稿では「撮られているのはたしかにおれだが、撮っているおれは一体誰だろう? ―あるいは、なぜ『投稿写真』は生き残れず、『BUBKA』は生き残ったのか」と題して(長げーよ)、『投稿写真』と『BUBKA』という二つのアイドルにかかわる雑誌の比較対照から、アイドルにおける「撮る/撮られる」という関係の変容について書いてみた。この両誌の創刊のあいだには(ちなみに創刊年はそれぞれ『投稿写真』が84年、『BUBKA』が97年)カメラのデジタル化やネットの普及をはじめ、さまざまなメディア技術の進化があるわけだけれども、まあそれによって写真を「撮る/撮られる」という行為の意味もまったく変わってきたよね、というのが本稿のおおまかな主旨だ。くわしくはぜひ本文を読んでいただければと思う。
ところで、この原稿を書くにあたっては、蓮實重彦の『凡庸さについてお話させていただきます』(中央公論社、1986年)をちょっと参照してみた。同書に収録された「氾濫する映像情報のフォーカスは合っているのか」というエッセイの中で蓮實重彦は、当時隆盛を極めていた写真週刊誌に掲載される写真には、著名人の物語(イメージと言い換えてもいいだろう)を覆すというよりは、むしろ物語を補完する意味合いのほうが強いといった意味合いのことを書いている。それはおそらく『投稿写真』をはじめとする一連のアイドル雑誌にもいえることだと思う。考えてみると写真週刊誌や『投稿写真』は、芸能人のスキャンダルをとりあげつつも、一方では表紙やグラビアによって彼女/彼らのパブリックイメージを広めるという役目を担ってきた。いわば芸能界とこれらの雑誌は一見反目しているように見えつつも、その実、表裏一体の関係というか、物語を成立させる上では持ちつ持たれつの関係を維持してきたのではないか。
しかし『BUBKA』はこういった関係からは完全に外れている。これまで写真週刊誌や『投稿写真』のようなアイドル誌がアイドルとともに一種の共犯関係のような形でつむいできた物語は、『BUBKA』においてはあっさり否定され、表層的な物語とはあきらかに相容れないもの(たとえばいわゆるニャンニャン写真など)が毎号のようにぶつけられる。しかもその「相容れないもの」とは、プロのカメラマンやアイドルマニアのカメラ小僧たちによって撮られたものではなく、往々にしてアイドル自身がプライベートで撮ったものである場合が多い。何という皮肉だろうか。
ちなみに先のエッセイの中で蓮實重彦は、写真週刊誌『フォーカス』に掲載された高部知子ニャンニャン写真についても触れ、《そこには、事前でも事後でもない事件の現場が生なましく捉えられてはいる。だが、……こうした決定的な証拠だけを掲載していたのではやがて読者が離れて行くことを、編集部自身がよく承知している。》とその例外性を強調している。しかしいまやその例外に類する写真をメインに据えた雑誌が毎月刊行され、なおかつ多くの読者を得ているとは一体どういうことだろう。これは『Kluster』掲載の拙稿にも書いたことだが、ここは一つ、蓮實重彦による『BUBKA』論が待たれるところである(笑)。
あと、例の原稿でうっかり書き漏らしたのだが、『投稿写真』が『TOP SPEED』と誌名を変えて新創刊したのは99年のことだ。まあそれも結局、然る問題を端緒に、昨年休刊に追い込まれてしまうんだけど……それについてもくわしくは『Kluster』での拙稿を参照してください。