いつか「年譜のおじさん」*1になる日のために

きのう近所の古本屋で見つけた岩波書店の『近代日本総合年表』の最新版を、買おうかどうか迷った末に、「読む本は図書館で借りればいいが、調べる本は買って手元に置いておけ」という小学校時代の恩師の言葉を思い出し、結局買う。7,350円也(定価は11,550円)。
きょうはこのほかにもイーエスブックスから取り寄せた現代風俗観察会編『現代風俗史年表』(河出書房新社)と『データパル2003レッド』(小学館*1も購入する。前者の第1版は中学3年の夏に買っていままで愛用してきたのだが、97年(しかしまた中途半端な年に出したな)と01年にそれぞれ増補版が出てからというもの買い換えようかどうかずっと思っていたのだった。そんなわけで増補された86年〜00年までの年表をさっそくチェックしてみる。しかし中学時代にこの本の1ページ1ページをめくる時に抱いたワクワク感というのがちっとも感じられない。何でだろう、それまでの年代と比較するとあまりにも同時代すぎるからか? それもあるかもしれない。しかしそれならそれである程度、ノスタルジックな気分に浸れてもいいものを、そういったものもあまり感じられないのだ。
どうやらこれにはとりあげられている事項、というより、むしろとりあげられていない事項に理由があるようだ。たとえばこの年表には岡崎京子フリッパーズ・ギター電気グルーヴも『完全自殺マニュアル』も『Quick Japan』もとりあげられていないのだが、それらの事項が一切記されていない同時代史というものを、ぼくはやはり考えられない。まあ、年表を手がけた人たちとぼくの世代の違いといってしまえばそれまでかもしれないが……。
ただ、刊行当時は従来の年表とは逆に社会史と風俗史(世相・流行史、あるいはサブカルチャー史と言い換えてもいいだろう)をひっくり返したという点で目新しく見えたはずの同年表も、サブカルチャー的なものによって時代を語るということがさほど珍しくなくなった現在となっては、ほかの同様の企画の中に埋もれてしまったような感じを受ける。また、ここまでサブカルチャーの内部でもジャンルが細分化されてしまうと、一つの視点から流行や現象を眺めるということが困難になるのは当然だろう。とりあえず『現代風俗史年表』は、2000年をもってひとまず増補にピリオドを打ち、今後はまた新たな視点からまったく違う年表がつくられるべきではないかとぼくは思う。
それにしても第1版では執筆にかかわっていた赤尾晃一先生が増補版ではまったくかかわっていないのがちょっと惜しまれる。メディア論が専門でネットやテレビゲームにもくわしい赤尾先生がかかわっていれば、増補版もまた違ったものになったような気がするのだが。

*1:これも中学の時以来、『現代用語の基礎知識』や『イミダス』より簡便だからという理由で毎年のように買っていて、2004年版も出るかと思っていたのだが、ちっとも出る気配がない。