「日本列島改造論」の名付け親

うわ、早坂茂三が死んだ。きのう友人とたまたま本の話になって、ぼくが『田中角栄と国土建設』というのを読んでると言ったら、「それは早坂茂三が喜びそうな内容なの?」と訊かれたばかりだよ。まあ、角栄が再評価されつつある時期に亡くなったのは、ある意味幸せといえば幸せだったんじゃないだろうか。早坂茂三といえば、ちょっと前にわがままを言って飛行機を遅らせたことがあったよな、と思い出してちょっと調べてみたら、それがもう5年前のできごとだと知り、ちょっとびっくり(参照)。
訃報といえば、漫画家の杉浦幸雄も数日前(6月18日)に亡くなっている岡本一平の弟子だったとは知らなかった。おそらくこれで戦前から活動していた漫画家はいなくなってしまったのではないだろうか(それにしてもこの世代――明治後半生まれ――の漫画家は、田河水泡をはじめ横山隆一杉浦茂大城のぼるなど、長寿をまっとうした人が多いなあ)。……いや、横山隆一の弟の横山泰三はひょっとしたら戦前デビューだったかも……? そう思って一応調べてみたところ結局、彼が漫画家として活動を始めたのは戦後のことだと判明。その彼ですら今年87歳なのだから、やはり戦前は遠くなった。
横山泰三で思い出したが、朝日新聞の「社会戯評」は、さすがにその末期には呉智英からさっさとやめろと批判されたり、『サルまん』でギャグのネタにされたりしていたけれども、あのタッチが時代の最先端だった時期が確実にあるんだよな、と最近ふと思ったことがある。谷崎潤一郎の『台所太平記』や三島由紀夫の『不道徳教育講座』では横山泰三が装丁や挿画を手がけているが、あれっていまでいえば、さしずめ純文学系の作家の本に吉田戦車しりあがり寿がイラストを描くのと感覚的には似てるんではなかろうか*1しりあがり寿にいたっては、いまやあきらかに横山泰三を意識して時事マンガを描いているフシがあるし。

*1:まあ横山がこういう仕事をしていたのは、当時の漫画界が、文藝春秋から『漫画讀本』という雑誌を出したり比較的文壇と近い位置にあったからだとも思うのだが。そう考えると、手塚治虫以降の漫画ならぬマンガ業界がいかに文壇(文学の世界じゃなくてあくまでも「文壇」ね)から遠く離れた場所にあることか。