舞城王太郎が芥川賞候補に選ばれた。いまの選考委員を見ていると果たして舞城が選ばれるかどうか微妙なところだが。それにしても今回このニュースをとりあげた記事の多くが、覆面作家である舞城を異色の存在として扱っているのが興味深い*1。
とはいえ、覆面作家とまでは行かないまでも、それに近い形で登場し芥川賞受賞にいたった例は過去にもある。どうも1969年7月*2に『赤頭巾ちゃん気をつけて』で受賞した庄司薫がその例にあたるらしい。
これについてぼくは、最近古本屋でたまたま手に取った奥野健男と尾崎秀樹の『作家の表象』(時事通信社、1977年)という本で初めて知ったのだが、作家と同じ名の高校生が主人公であるこの作品が『中央公論』に発表された時、本当に高校生が書いたものと信じた読者も少なくなかったという。
ところが三島由紀夫などが若者の才能あふれた作品と絶賛し、芥川賞を受賞したために、作者の正体がバレてしまった。庄司薫氏はナンと一九五八年「喪失」により第三回中央公論新人賞を、三島、武田泰淳、伊藤整らに絶賛され受けた福田章二であったのだ。(中略)ところが福田章二はその後「封印は花やかに」という作品を最後に小説を発表しなくなってしまった。東大の法学部に進み安保闘争の時、丸山(真男:引用者注)門下になって政治学を専攻、そのあと謎の十年間を過ごす。
そして七〇年安保に向かう大学紛争時、章二をもじった庄司薫として*3高校生めかして「赤頭巾ちゃん気をつけて」を書く。もし芥川賞にならなかったなら、あくまでも高校生に身をやつし「白鳥の歌なんか聞えない」「さよなら怪傑黒頭巾」「ぼくの好きな青髭」と赤、白、黒、青の四神図ならぬ四部作をひそかに完成し、福田章二の名でさりげなく批評するつもりであったろう。ところが「赤頭巾」ではやくも芥川賞になり、その仕組みが知られてしまった。
(太字部分は原文では傍点が打たれている)
ちなみに芥川賞受賞当時の庄司の年齢は32歳。この時の芥川賞選考委員で、庄司が中央公論新人賞を受賞した際の同賞の選考委員でもあった三島には当然その素性はわかっていたのだろう。しかし中には永井龍男のように《読み進むうち、この小説は二人以上の筆者による合作でないかと推理したが、結末の「あとがき」に到ると、そういう読者を予測したかの感想も添えてあった》と、ほとんど何も知らないまま作品を読んだ選考委員もいたようだ(参照)。
それはそうと、素性を隠して高校生に身をやつしたり、別名で自作を批評したりというかつての庄司のたくらみは、まさにいま舞城王太郎がやっていることではないか(これで舞城に、過去に別名で新人賞を獲った経歴なんかがあったら最高なんだけど……さすがにそれはないか)。庄司は結局、そのたくらみを芥川賞によって阻まれてしまったわけだが、ここはぜひ舞城には、たとえ今回受賞が決まっても、覆面作家というスタンスを貫き通してもらいたい。