来栖・袈裟夫・サンワリ君

しかし人が次々と死ぬなあ。鈴木善幸と同じ19日には元統幕議長の栗栖弘臣も死んでいたのか。栗栖弘臣とぼくが聞いて、「来栖発言」「福田内閣における有事立法研究」と即座に連想できたのはおそらくここ最近、70年代の政治について関連書をちょこちょこと読みかじっていたからだろうな。……と、いま調べてみたら、いわゆる「来栖発言」として物議をかもすことになる、自衛隊の超法規的行動をめぐる発言が来栖から出たのは1978年の7月19日で、何とまあ彼の亡くなったのと同じ日ではないか。まさか自分の首が飛ぶ端緒となるできごとのあった日と、亡くなる日が一緒になるとはねえ。
ええと、あとここ数週間のうちに亡くなった人というと、森嶋通夫鈴木義司中野孝次に村山袈裟夫ですか。しかし村山袈裟夫って、やっぱりすごい本名だなあ>星セント。これに匹敵する本名というのもなかなかないだろう。あ、漫才ブームつながりでいえば、「じろう」ではなく「にろう」と読む(らしい)ビートキヨシこと兼子二郎はいい線行ってるか。
鈴木義司といえば読売夕刊の「サンワリ君」だが、「あれじゃサンワリじゃなくてニワリゴブだ」「朝刊で植田まさしが頑張ってるのに、それを夕刊で義司が台なしにしている」てなことをぼくの友人がよく言っていたものだ。たしかにそれはぼくも同感で、読むたびに「どうにかならんのか、義司は」と思っていた。
しかしああいう新聞漫画の世界というのはどこか終身雇用制的なとこがあって、作者が死ぬか病気にならないかぎり延々と続くパターンが目立つ。作者の病気により終了した加藤芳郎の「まっぴら君」もそうだし、佃公彦の「ほのぼの君」もまだまだ続きそうな気配だ(作者の死や病気とは無関係の“円満退社”はせいぜいサトウサンペイの「フジ三太郎」ぐらいではないか)。おそらくはこれらの作品を、いまやほとんどの読者が面白いとは思っていないのだが、それでもこれらの作品が長寿を保っている(いた)のは、毎日変化を続けるニュース記事の中にあって、何か一つぐらい変わらないものが求められているからではないか。よって、あまり絵としても内容としても、あまりにも先鋭的なものは新聞漫画としては避けられる傾向があるような気がする。もちろん近年にいたっては、いしいひさいちしりあがり寿などを抜擢するといった試みも見られるが、彼らは彼らなりに先鋭的(マニアックといってもいいかもしれない)なこととマンネリ的なものを使い分けていると思う。これが相原コージ吉田戦車なんかだとまだまだ危うい気がするのだが。