高崎霊能者奇譚(具体的には何も書けないけど)

友人の田中北京氏(大阪在住・食品問屋勤務)が霊能者に会いに行きましょうと言うので、高崎まで一泊二日の旅行に出かける。
そもそものいきさつを説明すると、田中氏がかつて通っていた高崎の大学の近くには、学生などがよく出入りしているゲーム屋があり(ただしこの8月をもって閉店)、そこの店主であるおばさんが姓名判断に凝っていたのだという。で、そのおばさんにはさらに師匠がおり、それも姓名判断だけでなく霊を見ることもできる、言わば霊能者だと知って、これはぜひ話を聞きに行かねばと思い立った田中氏からなぜかぼくも誘われて今回の旅行となったわけである(いや、田中氏がおばさんから聞いた話には、ある事件の真相をそのおばさんの師匠たる霊能者が「推理」したという、ここでは書けないような話もあって、それはそれでオカルトにはほとんど興味のないぼくも少し惹かれるものがあったのは事実だが)。
高崎駅からさらに信越線で数駅行ったところにある、その霊能者のKさん(御年80歳になるというおばあさんだった)の自宅までには、手土産を網棚に忘れてしまい上野から乗った電車の終点である前橋まで取りに行ったりと、様々な試練を乗り越えて、昼過ぎにやっとたどり着いた。
それでまあ夕方近くまで長々とKさんから自分たちの名前を診てもらったり、そのほか興味深い話を色々うかがったのだけれども、はっきり言ってここには書けない話ばかり。つーか、これ、そのまま書いたら『ムー』の投稿記事になっちゃうよ(笑)。唯一書けるのは、自分の運勢ぐらいか。えーと、近藤正高という名前は、総画数からすると大変良い名前らしい。また名前の「正高」は15画で男にとっては最高の画数なんだとか。あと、九星で言えば六白金星にあたる昭和51年生まれであるぼくは、昨年までは良くなかった運気が今年から来年にかけて上昇する時期にあたるとかで、まずは一安心。一方の田中氏もまたぼくと同い年なので、運気は上昇傾向にあり、また姓名判断からすると勝負に出ると良いタイプらしいので、Kさんからはしきりに近々勝負に打って出ることを勧められていた。
夕方4時すぎにKさん宅をあとにし、ふたたび高崎に出てから駅前のホテルにチェックイン。その後、『ZAMDA』の連載陣の一人である高崎在住の万里小路信房氏と、万里小路・田中北京氏の同窓生であるキートン田中氏(ぼくは今回が初対面)と落ち合い、彼らの大学時代の行きつけの居酒屋で飲む。さらに10時過ぎには、偶然にもこの日高崎に来ていた五所光太郎氏(彼もまた『ZAMDA』執筆者で、万里小路・W田中氏の同窓生)とも合流しファミレスでしばらくまったりと駄弁る。
夜中0時過ぎにようやくホテルに戻り、さあ寝ようと寝酒のつもりでコンビニで買っておいた発泡酒をあおるも、頭に血が回りすぎてかえって眠れなくなってしまう。ようやく眠れたかと思えば、明け方に目が冴えてしまって結局熟睡できず。横で田中氏がぐっすりと眠っているのを本気でうらめしく思いながら朝を迎える。