新幹線は感心せん!(by.元気いいぞう)

あっという間に11月だ。ぼくもあと二週間で一つ年をとる。早い。
その誕生日の前日に参加予定の「文学フリマ」では、新刊を出すつもりなのだが、本当に出せるかどうかちと不安な状況。そもそも当初は、綿矢りさ研究本を出そうと思っていたのだが、そうこうしてるうちにこんな本が出てしまい、これと同じことをやるのはしゃくなので、ここはとりあえず個人誌『Re:Re:Re:』のvol.2を出すことに決めた(vol.1の内容はこちら→id:d-sakamata:20031230)。
で、同誌vol.2には過去に書いた原稿諸々とともに、書き下ろしとして、これまで「作家のビジュアルイメージをめぐる覚書」と題して「はてな」で書いてきたもの(id:d-sakamata:20040216、id:d-sakamata:20040708)をいいかげんちゃんとした形にまとめようと思っていた。……のだが、しかし、気がつけばもはや残り時間わずか。いま構想しているボリュームを考えると、とても書き上げられそうもない。そんなわけで、ここは泣く泣く、冬コミで刊行を予定している同誌次号へまわすことにして、別の企画をメインに据えることにした。題して「新幹線をめぐるディスクール・断章1964-2004」(仮)。
これは上記の企画と同時進行で進めていたものなのだが、そもそもこれを思いついたのは、先々月末に、《兄はふられると、やけ酒に走る。弟はふられると、新幹線を見に行く。》という江國香織の新作『間宮兄弟』のテレビスポットを見たことがきっかけだった(参照)。これを見て、ぼくは、ふと、これまで新幹線について触れた小説などの文芸作品*1のみならず、関連のありそうな文献から目ぼしいところを抜粋して年代順に並べてみたら面白いんじゃないかなー……と思ったのだ(方法としてはベンヤミンの『パサージュ論』や、手塚治虫の生涯を雑誌や新聞、書籍からの引用だけでたどった竹熊健太郎らの試みである『一億人の手塚治虫』などとほぼ同じだ)。
まあ、思いつくのは簡単だが、いざ始めてみるとなかなか大変である。進めるごとに、これをとりあげるなら、これもとりあげようということになり、どんどん紹介する文章が増えてゆく。たとえば新幹線における旅の変化を示した文章は当然入れたいし、あと、田中角栄の『日本列島改造論』における全国9000キロに及ぶ新幹線網構想なんかも欠かせないだろう。また一方では、新幹線の騒音公害をめぐる名古屋新幹線公害訴訟に関する文章なども入れたい。――と、そんなふうに文章を並べていくうちに、なまじ独自に叙述していくよりも、こうして様々な文献からの引用文を並べていくほうが、よっぽど新幹線の40年の歩みがよくわかるということに気がつく。いや、「日本が生んだ世界に誇る技術」「高度成長のシンボル」といった『プロジェクトX』的な観点から新幹線の歴史が語られることは多いが、事故や公害といったネガティブな面や、さらには同時代の文化への影響という観点をも包括した新幹線史というのは、たぶんまだ書かれていないはずだ。おそらくは、ぼくがいま進めているこの作業は、そんな将来書かれるべき新幹線「総合史」のために不可欠なものとなるのではないか?
……で、将来書かれるべきって、誰が書くんだ?
まあとにかく、この企画と、さらに過去に書いた新幹線やその誕生の年に行なわれた東京オリンピックに関連する過去の自分の文章をまとめて「東京オリンピックと新幹線とその先の日本」といったタイトルで一冊にまとめられないかと考えているところ。でも、本当にこれ、間に合うのかなあ。ほかの仕事との兼ね合いなども考えると、ちょっと自信がなくなってきた……(汗)。

*1:とはいえ、新幹線が効果的に使われた小説というのは案外少ないような気がする。