きょうのコクド

西武鉄道株名義借り 相続対策が発端 堤義明氏、40年前から認識も

 西武鉄道がコクドなどグループ会社の持ち株比率を有価証券報告書に過少記載していた問題で、複数のコクド元幹部が産経新聞の取材に対し、株の名義借りは堤義明前コクド会長の父で西武グループ創始者、康次郎氏の遺産相続対策が発端だったと証言した。康次郎氏が死去した昭和三十九年より前から、義明前会長が遺産のほとんどを相続できるように名義借りが始まっていたという。義明前会長が四十年前から過少記載を認識していた疑いが浮上した。
 株の名義借りは、グループ会社の伊豆箱根鉄道近江鉄道の株でも発覚したほか、グループ中核会社のコクドでも行われていたことが新たにわかった。遺産相続のためグループ全体で行われた疑いがある。
 西武鉄道は十月十八日に国土交通省の事情聴取を受けた際、昭和三十九年には過少記載が始まっていたと説明。康次郎氏は同年四月に七十五歳で死去していた。
 複数のコクド元幹部の証言によると、一代で西武グループを築き、衆院議長も務めた康次郎氏は、死去する十数年前から遺産相続を重視。遺産が一族に分散し、西武グループの事業自体が停滞することを恐れ、後継者に決めた二男の義明前会長にコクドと西武鉄道系の事業を引き継ぎ、遺産のほとんどを相続させることを決めた。
 その手法として、まず一族に相続権の放棄を求め、一方で節税のため、所有する広大な土地はグループ各社の法人名義にした。西武鉄道株については、康次郎氏の名義株を信頼できる幹部らに形式的に譲渡。これが借名株の始まりとされ、康次郎氏の死去後は義明前会長の手元に戻し、コクドなどグループ各社が管理していたという。
 コクドでは昭和三十年代に「国友会」と呼ばれる社員持ち株会が発足。幹部クラスを含め選ばれた社員が入会したが、名義人が株の購入資金を出すことはなく、退職後もコクドが株を実質所有していた。
 元幹部の一人は「今回の株問題のルーツは国友会といえる。目的はグループの結束力強化と堤家の財産保全で、国友会の方法が生かされた形だ」と証言した。
産経新聞) - 11月2日3時3分更新
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041102-00000001-san-bus_all

先日宮崎親分が話していたという堤義明が豊島園社長の弟に母親の遺産を分けなかった(まあ、まだ表沙汰にはなってないようだし、真偽のほどはわかりませんが)というのも(参照→id:d-sakamata:20041025)、義明にしてみれば、遺産を一族に分散しないという創業者である父親の遺志にしたがったまでのことだとも考えられなくもないですかね。しかし、自分が死んでからすぐに西武が鉄道と流通に分かれてしまって、康次郎としては草葉の陰で忸怩たるものがあったろうなあ(笑)。
ところで、上の記事に《一方で節税のため、所有する広大な土地はグループ各社の法人名義にした》とありますが、コクドは創業以来一度も法人税を払っていないという噂も根強いですな。

堤康次郎西武グループの富の源泉には、もうひとつの秘密がある。それは、“節税”という富の流出を防ぐシステムを完成させたことである。堤康次郎は、戦後、保守派の大物政治家として衆議員議長まで務めたが、彼には財産らしきものが何ひとつない。だからといって、貧乏というわけではない。彼は自分が住んでいる建物を含め目ぼしい資産を会社所有にし、会社は多額の借金で投資をするなどして利益が出ない体質にし、所得税(個人・法人)を払わないで済むようにしたのだ。日本一の土地持ち会社・コクドは、大正九年の設立以来、一度も法人税を払っていない、と言われている。

 ―立石泰則「堤康次郎 ―限りなく刑務所の門に近づく商法」(朝日新聞社編『二十世紀の千人』第3巻、朝日新聞社、1995年)

いやー、家康並みに用意周到なやりくちだわ。思えば堤清二が学生時代に左翼運動に走ったり*1、経営者となってからも文化的活動に執着し続けたのも、こういう父親の「前近代性」に対する「近代人」としての反発からなんだろうなあ。

*1:そもそも堤清二を運動に誘ったのは、東大の同級生で現日テレ会長の氏家斎一郎である。さらに彼らの一級上の「同志」には渡邉恒雄がいた。