叔父さんと僕の冗談関係

中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書ISBN:4087202690)読了。
今年網野善彦が亡くなった際にぼくは、《親子関係よりは深くなく、おじ・おばの側も甥や姪に対してそんなに責任を負う必要はないがゆえに、この関係が時には親子の関係以上に思想面などで影響を与えてしまうということはないだろうか?》(id:d-sakamata:20040227)なんてことを書いたのだが、同書を読んだところ、実際に人類学にはこういった関係を示す法則があると知って驚いた。

 この最初の出会いの日から、私と網野さんは、人類学で言うところの「叔父―甥」のあいだに形成されるべき、典型的な「冗談関係」を取り結ぶことになったわけである。この関係の中からは、権威の押しつけや義務や強制は発生しにくいというのが、人類学の法則だ。そして、精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる。こうしてそれ以来四十数年ものあいだ、私たちのあいだにはなによりも自由で、いっさいの強制がない、友愛のこもった関係が持続することになった。
 ―中沢新一『僕の叔父さん 網野善彦

それ以外にも、名古屋大学勤務時代の叔父を訪ねた中沢新一が、叔父一家らと入った怪しげな焼き鳥屋の話や、彼の父親の中沢厚佐世保でのエンタープライズ入港反対闘争(68年1月)の様子をテレビで見ていた折に、少年時代にやっていた石投げ合戦のことを思い出し、それがのちに彼自身が没頭することになる礫(つぶて)の研究につながっていく一方で、義弟の網野善彦の研究にも影響を与えたという話など、興味深いエピソードがいくつも出てきた。
何より、甥と会うたびに、自らの研究について熱っぽく語りつつ、甥に対しても絶えず意見を求め、互いに刺激し合っていたという事実に、網野善彦という人の柔軟性を感じた。

そういえば、先月、日曜の夕方にたまたまテレビ東京にチャンネルを合わせたら、坂本龍一が黒曜石で石器をつくりながら、誰かを相手に縄文人について語っていたのだが、その相手というのがよく見たら中沢新一だったのにはちょっとびっくりした。YMO時代より細野晴臣中沢新一という組み合わせはよく見かけたが、坂本・中沢が顔を合わせる機会というのは、元々少ない上に、95年に坂本が『批評空間』の座談会で細野と中沢のオウム事件への責任に言及してからは、まったくなかったのではないだろうか。まあ、いまの教授の思想を考えると、わりと中沢新一と似通った部分があるのかもしれない。

それにしても、西武の堤清二・義明兄弟といい、岸信介佐藤栄作兄弟といい、どうも最近のぼくは血縁関係というものに強い関心を抱いているようだ(つい先日も依頼されてとはいえ、宮崎駿の家族について『ウラBUBKA』で書いたわけだし)。一体なぜだろう? 自分でもよくわからないのだが、精神分析学的に見ると何か深い意味が隠されているのだろうか。