「歴史の断片化」としてのレトロブーム

さらに、もう一つリファ返し。id:erohenさんからは、『Re:Re:Re:』のvol.1(昨年末発行)に収録したものも含めて、ぼくの文章に対する感想をいただく(http://d.hatena.ne.jp/erohen/20041123)。この感想には、何だか自分の今後の方向性というものを示唆されたような気がしました。どうもありがとうございます。
おそらくぼくの歴史、特に現代史に対する見方というのは、80年代のいわゆるレトロブームの時期より急増したテレビの回顧/懐古番組によって形成された部分が大きいのではないかと思う。そこでは、懐かしのテレビ番組も含めた芸能界のできごとも政治や社会での歴史的事件も同等に扱われていた。いわばノスタルジーを喚起する一要素として歴史上のあらゆる現象が断片化されたその手の番組と数多く接することで、ぼくの歴史観というものはつくられたのではないだろうか。当然ながら、そうやって形成された歴史観というのは、どうしてもデータベース的なものにならざるをえない。たとえば、年表を眺めては、同じ年にまったく違う分野で起きた事象とを落語の三題噺よろしく結びつけては、もっともらしい話にでっちあげることについ熱中してしまうという具合に。だから東浩紀氏の『動物化するポストモダン』で「データベース消費」という言葉が出てきた時など、動物化や萌えなどといった文脈とはまったく関係のないところで、「これっておれのことじゃん!」と思ったものだ。

ついでなので80年代にレトロブームについて少し触れておくと、この時期にこうしたブームが起こったのには、いくつか理由があると思う。一つは、1985年の戦後40年や翌86年の昭和天皇在位60年、そして89年の昭和の終焉と、歴史の節目を立て続けに迎えたこと。二つ目はビデオデッキの普及とそれにともなうソフトの増加。三つ目は近代や歴史の終焉を掲げたポストモダン思想の流行。そして四つ目に、若い世代のあいだで共有体験として語られる話題が、戦争体験や学生運動の体験などといったものから、マンガやテレビなどのメディア体験へと重心が傾いていったことがあげられる。たしかにこれ以前よりナツメロのブームなど懐古ブームはあったが、それらと80年代以降のレトロブームとが決定的に違うのは、やはりこのブームの中核を担ったのが若い世代だったということに尽きるだろう。たとえば、1984年にテレビ東京で始まった『面白アニメランド』(司会は山田邦子羽賀研二で、あきらかに若者向け番組)というテレビ番組には、「懐かしアニメコーナー」という文字通り懐かしのアニメ番組の名場面などを紹介するコーナーがあったほか、ある回には旧作新作を取り混ぜての人気アニメランキングといった企画が行なわれていた記憶がある。また同時期にはすでにコラムニストとして活躍していた泉麻人は、20代だった当時より「ナウ」な話題とともに懐かしネタをふんだんに盛り込んだコラムを手がけ、86年にはTBSの『テレビ探偵団』に本名の朝井泉で毎回コメンテーターとして出演することになる。
ところで第三の理由としてあげたポストモダンとは、本来建築の世界から出た言葉だった。合理性を追求するため装飾を極力排したモダニズム建築に対して、70年代後半より各国で流行したポストモダニズム建築は、歴史上の建築意匠を本来の形式から切り離し、いわばパッチワークのように自由に引用してちりばめることによって装飾を復権させた。こうした動きは日本でも80年代に隆盛をきわめるが、中でも、古代ギリシャ建築におけるイオニア式の円柱や、ロシア構成主義の代表的な建築家・レオニドフのソビエト重工業省本部案に描かれたアンテナなど、歴史上の様々な意匠を露骨なまでに引用して賛否両論を巻き起こした隈研吾設計の「M2」(89年設計、91年竣工)*1は、ポストモダニズム建築の最終形態ともいうべき作品だろう。これと呼応するかのように、ちょうど同時期の90年〜91年にはテレビの世界でも、もっとも新しいはずの流行現象を歴史上のできごとになぞらえるという(まるで逆さにした望遠鏡で歴史を眺めるかのような)手法を用いて、歴史の断片化を究極まで行なった深夜番組『カノッサの屈辱』(フジテレビ)が放映されている。レトロ番組のパロディともいえるこの番組と「M2」は、いずれも歴史の断片化を徹底して行なったという点で共通し、ポストモダン文化の行き着く果てを示したとはいえないだろうか。
そういえば、91年に発行されたある用語集では、『カノッサの屈辱』が次のように紹介されていた。

カノッサの屈辱
かのっさのくつじょく

フジテレビ系の深夜の異色教養番組で、91年3月終了した。仲谷昇ふんする教授の語りから番組は始まり、全編テレビの紀行、教養、歴史もののパロディになっている。メディアや社会の流行現象を歴史上の出来事にあてはめていくシミュレーションが笑いをよぶ。製作は80年代カルチャーの黒幕でもあるホイチョイ・プロダクション。ひたすら歴史を無化、忘却してきたポストモダン文化が一種の歴史回帰をしている点がなんとも皮肉。

 ―『データパル1991』(小学館、1991年)

ここではポストモダン文化は《ひたすら歴史を無化、忘却してきた》というふうに定義されているけれども、歴史上の意匠を引用したポストモダニズム建築は、歴史や伝統などといったものを排除し続けてきたモダニズム建築への反省として登場したという背景を持つわけだし、ポストモダンがひたすらに歴史を無化してきたとは一概にはいえないはずだ。ここは、むしろポストモダンは歴史を断片化したというほうが正しいだろう。

*1:当初はマツダの自動車のショールームとして建築された「M2」だが、現在は「東京メモリードホール」という葬祭場となっている。