先日注文したN響の機関誌『Philharmony』2003/2004 Vol.2が届く。同号の特集「思い出の大河ドラマ音楽40年」がずっと気になっていたのだが、ようやく入手した。数年前に買った『NHK大河ドラマ主題曲集』(ASIN:B00005FMEL)という2枚組のCDをいまだに愛聴しているので、この特集はそのライナーノーツとしても重宝しそう。
この特集の目玉ともいうべき「いかにして大河ドラマの音楽は作られるか」と題された特別座談会では、大河での作曲経験者である冨田勲、池辺晋一郎*1、渡辺俊幸と演出家の大原誠というメンバーから、貴重な証言が次々と飛び出す。たとえば第三作目の大河ドラマである『太閤記』(1965年)の制作の際には、こんなことがあったとか……。
大原 こういうこともあったんですよ。「太閤記」で入野義朗さんのテーマ曲に、NHKの会長からクレームが出たんです。
池辺 まさか十二音で書いた?
大原 そう、十二音でした。当時、前田義徳という会長が就任した頃で、この音楽は難し過ぎるといちゃもんがついたんです。演出の吉田直哉さんがお願いに行って、入野さんは快く書き直された。(略)
渡辺 大河のテーマに十二音はありえないでしょう……。
池辺 ただ、(略)60年代というのは、みんな本気で、21世紀になったら母親が十二音で子守唄を歌うだろうなんてバカなことを言っていた時代でもあった。そんなことあるわけない(笑)。あのころは前衛にみんなかぶれていたんですね。
蛇足ながら説明すると、対談中に出てくる「十二音」とは、ドイツの作曲家・シェーンベルクが創始した「十二音技法」のことである。この技法については、シェーンベルクを紹介したこのサイトでも書かれているとおり、やはり《現在に至るまでこの作曲法による音楽が広く受け入れられているとは言え》ないのが現実だ。とはいえ、『太閤記』といえば、歴史劇なのにいきなり初回の冒頭で開業したばかりの東海道新幹線が登場して人々の度肝を抜いたドラマだったわけだし、十二音によるテーマ曲というのも、時代を象徴するという意味ではひょっとしたらありだったんじゃなかろうかという気もぼくはするのだが……。
考えてみると、NHK大河ドラマの音楽こそは、ぼくたちにもっとも身近な現代音楽の作曲家たちによる仕事ではなかっただろうか。日本における電子音楽の第一人者でもある冨田をはじめ、芥川也寸志、武満徹、林光、湯浅譲二、一柳慧……いずれも日本を代表する現代音楽の旗手たちだが、たとえば『翔ぶが如く』の主題曲が一柳慧によるものだと知ると急に親しみが湧いてくる。実は、あの曲もまた、シェーンベルクが理論を確立した「無調」*2が取り入れられた、前衛音楽の流れを汲むものだったりするのだ。しかしそこに難解さは微塵も感じられない。いわば大河ドラマの音楽の歴史とは、難解な現代音楽をいかに大衆化するという試みの連続だったのではないか。第一作より大河の音楽を手がけてきた冨田などは、難解な現代音楽に対してあくまでも否定的であり、先述の座談会でも次のように発言している。
一般大衆って軽視されるけれども、一番公平な、辛らつな結果が返ってくる。一時、わけのわからない現代音楽があったでしょう。偉い先生方が何を目安にそれを褒めるのかわからないけれども、あれが芸術的になっちゃう。だけど、悪いけど、僕は聴いて何もわからなかったね、ああいう音楽は。結局、一般の人たちが理解できないものというのは、フリージャズでもいずれ崩壊してしまいましたね。
長年にわたって放送の世界に携わり、数々の名曲を生み出してきた彼の言葉だけに、実に重みが感じられる。ちなみにぼくの大河テーマ音楽のベスト3は、1位が冨田作曲の『徳川家康』、2位が『源義経』(武満作曲)で、3位には『赤穂浪士』(芥川作曲)と『山河燃ゆ』(林作曲)が同率で入るかな、といったところ。このうち『徳川家康』は大河の音楽では初めてシンセサイザーが使われた曲だが、その放送年が1983年というのはちょっと遅すぎではないかとも思う(何せ83年といえば、日本にテクノポップのブームを巻き起こしたYMOが「散開」した年なのだから)。
そういえば作家の奥泉光は子供の時、NHKの大河ドラマの音楽をつくる人になりたかったという(参照)。ようするに、いまはともかく、かつては子供が憧れるほどのステイタスが、大河ドラマにもそのテーマ音楽にもあったということだろうか。
ところで、『武蔵 MUSASHI』でエンニオ・モリコーネに作曲を依頼するのに、一体NHKはいくら払ったんでしょうかねえ?