東京と「南セントレア市」に共通するもの

結局、「南セントレア市」への市名変更は白紙に戻されることになったようだ。ぼくもこの市名変更については日記で触れたわけだけれども(id:d-sakamata:20050128)、今回の一件をめぐるネットでの騒がれ方について、フリーライターの小川裕夫さんが次のようなことを書かれていた。

話題沸騰中の「南セントレア市」。さすがに議会でも見直しを検討ということだが、この南セントレア市が決まってからというもの、市名反対の意をこめて、その市名を笑い物にするサイトやblogがあっていろいろ閲覧していたのだが、どれも私を納得させてくれるものがなかった。南セントレア市なんていう本末転倒的な市名について、私はもちろん反対と言えば反対なのだが、例えばそれが「南セントレア市」といういかにも自治体っぽくない名前にも関わらず、「地域の歴史うんぬん〜」というような新市名称を非難するときに毎度出てくるような理由を持ち出してしまうのはいかがなものなのかぁ〜という気がしないでもない。
 ―「オレたちに「南セントレア市」を笑う資格はあるか!?」(writerism たった一人のライター修行2月10日付)

さらに小川さんは、何も「南セントレア市」だけが特別なのではなく、ほかにも同市同様にまったく関係のない土地にある地名を市名にした例はあるとして、さいたま市をあげている(県名/市名となった埼玉/さいたまは、もともと行田市にあるさきたま古墳に由来するとの由)。しかし、県名・市名の由来となったさきたま古墳の位置はともかく、埼玉の名称はすでに県名として定着しており、その県庁所在地である市が「さいたま」と名乗るのは、けっして不自然なことではないと思うのだが、どうだろう? 「南セントレア市」という市名が問題だったのは、別の土地にある地名を市名にしようとしたということ以上に、肝心のその地名がまだ定着していないということだったと思う。
もちろん、別の土地にある地名をつけるというのは、その土地のアイデンティティの根本を揺るがしかねない問題ではあるだろう。小川さんは先の文章に続けて、《そもそも日本首都・東京自体が明治になって江戸から東京に改称したわけだが、東の京都だから東京という歴史だとか由緒などひったくれもない地名にされているわけで……》と、東京という地名にも触れているが、そう言われてみると、東京もまたそのアイデンティティをめぐって明治以来揺らぎ続けてきた都市ではなかったか。
おそらくは新政府によって江戸が東京と改称された時点で、江戸という都市のアイデンティティは一旦放棄されたのだと思う。いや、旧政権を象徴する地名を改めないことには、天皇を上に頂いての新しい政治を始められなかったのだ。当時の江戸っ子たちが東京という名称を嫌ったのも何より、新政府によって自分たちのアイデンティティのよりどころを奪われたという意識を強く抱いたからだろう(そういえば、立川談志がある人に江戸っ子の定義を訊ねたところ、出身地はともかく明治維新で幕府方の味方をしたのが江戸っ子だという答えが返ってきたそうだ*1)。そこには、今回の「南セントレア市」という名称に対する地元住民たちの反発にも通じるものがあったと思う。
そう考えると、東京は明治維新以来、かつての首都である京都の存在によってアイデンティファイせざるをえなかった……いわば「京都の影」にずっと呪縛され続けてきたとも言えるわけである。何をおおげさなと言われるかもしれないが、たとえば維新から60年近くを経た昭和にいたっても昭和天皇即位式は東京ではなく、従来どおり京都で挙行されている。この事実は、昭和初頭の時点でもまだ、東京に首都が移ったのはあくまでも暫定的なものであり、東京は京都のダミーとしてとらえられていたということの何よりの証しではないか。では、東京が京都の影から解き放たれて、首都としてのアイデンティティを確立したのは一体いつのことなのだろう? ひょっとしたらそれは、東京オリンピックの開催を前に、国際都市としての東京をアピールするために「TOKYO」という表記が盛んに用いられた時になって、ようやく確立されたのかもしれない*2明治維新から東京オリンピックにいたるまで約100年。権力を握るごく一部の人間たちによって決められた地名が人々のあいだに定着するには、それだけの時間がかかるということか。
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そもそもぼくが「南セントレア市」という市名に敏感に反応したのは、以前この日記(http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/20041103/p2)でも書いたように、ぼく自身が育った市の名前に対してちっとも愛着を抱いていないからである。東海市と呼ばれるその市名には次のような由来があるという。

東海市」という市の名前は、公募によって決められたもので、東海市・名南市・愛知市・知多市・平洲市の上位5市名から、「東海地方を代表するようなスケールの大きい名である。全国的によく知られ知名度が高い。中部圏の中心となるにふさわしい名称である」という理由で選ばれました。

 ―東海市HP:まちの概要(http://www.city.tokai.aichi.jp/~joho/main03.html

あれ、市の沿岸に大工場を持つ東海製鉄(現・新日鉄)からとったというわけじゃなくて、あくまでも東海地方に由来するものだったのか。でも、あんまりその土地のイメージとかけ離れた、スケールの大きな市名をつけるというのも考えものだと思う(「名南市」になるよりはまだましだったかもしれないけど)。おかげで、市制施行から36年が経とうとしているいまになっても、「東海」なんて自分の市を呼び捨てにする市民など一人もおらず、みんな「東海市」と他人行儀な呼び方をしているのだ。
それにしても、《全国的によく知られ知名度が高い》って、たしか「南セントレア市」という市名が決まった時もそんな理由が出てきてなかったっけ?

*1:参照:http://edo400.three-state.com/about.html

*2:ただし、東京が首都だとする法令はいまだになく、それを根拠にいまでも京都を首都だとすッ主張する人もいるようだ。