卒業文集にまつわる疑問

寝屋川の小学校での殺傷事件をめぐる報道では、またぞろ容疑者の卒業文集での作文がさっそく紹介されていたが、思えば、この手の報道で容疑者の過去の作文がとりあげられるようになったのは一体いつぐらいからなのだろう? やはり宮崎勤事件の際に、「きみとぼくには、未来がある」と同被告がかつて文集に書いた一文が話題になってからあたりだろうか。少なくとも、大久保清とか連合赤軍のころにはまだそういうことはなかったんじゃないかという気がするのだが……。