「見る」戦後日本文学史年表

あすの文学フリマで販売する個人誌の準備も追い込みに入っております。すでに内容よりも、まずとにかく出す! ということのほうが目的になってしまっているような状況ですが……。えー、なんとか間に合わせます。
本の内容としては以前、このサイトでも何度か言及した(id:d-sakamata:20040216、id:d-sakamata:20040708参照)作家のビジュアルイメージに関する論考の序文的なもの(結局、最初のほうしか書き上がらなかったのです、ハイ)を発表することになるかと思います。以下、その文章を書くにあたって作成した関連年表の一部(戦後の部分)を、PRも兼ねてUPしておきます。一応、映像メディアに関する明治以降の作家たちの動向を列記したつもりなのですが、なんだか瑣末なエピソードばかりが並んでいるような気も……。なお、あした出るはずの本誌のほうには、これに明治〜昭和戦前の事項などを加えた完全版(あくまでも現時点での、ですが)を掲載するつもりです。
では、あした文学フリマにご来場される予定の皆様、会場でお会いしましょう。
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●1946年
11月:雑誌での対談後、東京・銀座の酒場ルパンに会した太宰治織田作之助坂口安吾をたまたま居合わせた林忠彦が撮影。
●1947年
12月:『小説新潮』翌年1月号より林忠彦が文士シリーズの連載を開始。前年ルパンで撮影した太宰の写真をはじめ、仕事場での坂口安吾を撮った写真など第一回から注目される。
●1949年
10月頃:林忠彦田中英光を撮影。田中は撮影中、かつて林の撮った太宰治(前年に自殺)と同様のシチュエーションでの撮影を要求し続けたという。彼はこの撮影の直後、11月3日に太宰の墓前で自殺を遂げた。
●1950年
1月頃:『文芸読物』2・3月号の林忠彦の連載「現代新語写真辞典」に裸になってマッサージを受ける坂口安吾を撮った写真が掲載されるも、そのタイトル「アドルム」(当時安吾が中毒にかかっていた薬物)に安吾が激怒。林は2年ほど安吾邸への出入りを禁じられる。
4月:作家の肖像を用いた日本初の郵便切手として夏目漱石の文化人切手が発行される。以後、作家では坪内逍遥樋口一葉森鴎外正岡子規が同シリーズに登場。
●1956年
5月:この年1月に芥川賞を受賞した『太陽の季節』が古川卓巳監督で映画化され、原作者の石原慎太郎も出演。その髪型は「慎太郎刈り」と呼ばれ、若い男性たちのあいだで流行する。
9月:石原慎太郎原作・脚本(井出俊郎との共作)・主演の映画『日蝕の夏』(堀川弘通監督)公開。11月には石原原作・脚本(若尾徳平との共作)・主演の映画『婚約指輪』(松林宗恵監督)公開。
●1957年
7月:石原慎太郎主演の映画『危険な英雄』(鈴木英夫監督)公開。
●1958年
7月:石原慎太郎原作・脚本・監督の映画『若い獣』公開。
●1960年
3月:三島由紀夫主演・増村保造監督の映画『からっ風野郎』公開(主題歌は三島作詞・深沢七郎作曲)。同作のクライマックス撮影時(前年)にエスカレーターから転落することを命じられた三島は頭を負傷、入院するはめに。
●1963年
3月:三島由紀夫をモデルにした細江英公の写真集『薔薇刑』刊行。撮影自体は評論集のカバーと口絵の写真を撮ってほしいとの三島からの依頼で1961年に三島邸にて通算8回にわたって行なわれた(このとき撮影助手を森山大道が務める)。撮られた一連の写真は翌1962年1月の合同写真展「NON展」に出品され、評判を呼ぶ。
●1965年
4月:三島由紀夫、自作自演の映画『憂国』(堂本正樹演出)を完成。翌年4月に東宝・ATG共同配給でアートシアター新宿文化などで公開される。
●1967年
1月:寺山修司、劇団天井桟敷を結成。東由多加萩原朔美九條今日子横尾忠則など結成メンバーとともに皇居前広場にて学生服姿で記念写真を撮る。
●1968年
9月:『男性専科』第91号に篠山紀信撮影のグラビア「三島由紀夫・男性ヌード本家宣言」掲載。11月には『血と薔薇』創刊号グラビア「男の死」に同じく篠山撮影の三島の写真が掲載される。
10月:川端康成ノーベル文学賞受賞決定の翌日の一八日、NHKで特別番組『川端康成氏を囲んで』放映。川端が鎌倉の自邸で伊藤整三島由紀夫と語らう模様が中継される。
●1969年
8月:映画『人斬り』(五社英雄監督)公開。田中新兵衛役で三島由紀夫が出演。
●1970年
11月:三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺。介錯直後の生首が写り込んだ写真が同日付の朝日新聞夕刊に掲載される。
●1971年
3月:林忠彦写真集『日本の作家』(主婦と生活社)刊行。戦後林が撮り続けた作家たちの写真の集大成であり、題字を川端康成が書く。
●1972年
− 遠藤周作ネスカフェゴールドブレンドのテレビCM「違いのわかる男」に出演。作家のCM出演の嚆矢となる。同シリーズのCMにはその後、北杜夫宮本輝らも出演。
●1974年
− 山口瞳サントリーウイスキー角瓶のテレビCM「雁風呂」に出演。「あわれな話だなあ。日本人て不思議だなあ」という山口のセリフが深い印象を与え、ACC大賞を受賞。
●1975年
10月:NHK「土曜ドラマ」枠の第一作、松本清張原作の『遠い接近』(和田勉演出)が放映され、原作者自ら出演料なしの端役(終戦直後の闇市の洋モク売りの役)として出演。その後も松本は同枠の原作ドラマに毎回出演した。
●1976年
7月:村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞受賞。芸能週刊誌へのモデル出演などが物議をかもす。
− 野坂昭如サントリーウイスキー・ゴールド900のテレビCMに出演、「み〜んな悩んで大きくなった」(仲畑貴志コピー)というCMソングが話題となる。
●1977年
8月:『別冊1億人の昭和史 昭和文学作家史』(毎日新聞社)刊行。「二葉亭四迷から五木寛之まで」と銘打ち明治以降の小説家50人を写真を中心に紹介したもの。中には稲垣足穂野坂昭如がキスする様を撮った珍しい写真も。
●1978年
4月:『別冊1億人の昭和史 昭和詩歌俳句史』(毎日新聞社)刊行。「正岡子規から谷川俊太郎まで」と銘打ち明治以降の詩人・歌人俳人60人を写真を中心に紹介したもの。
12月:『小説新潮』翌年1月号より篠山紀信撮影によるシリーズ「日本の作家」開始。第一回は井上靖
− 松本清張野村芳太郎らと霧プロダクションを設立。
●1979年
4月:池田満寿夫芥川賞受賞作『エーゲ海に捧ぐ』を自ら監督して映画化、封切り。この年には村上龍もやはり芥川賞受賞作である自作『限りなく透明に近いブルー』を映画化。村上はその後も『だいじょうぶ、マイフレンド』『トパーズ』『KYOKO』など自作を撮り続けることになる。
●1982年
5月:田中康夫、離婚直後に『女性セブン』6月3日号でビキニパンツ一丁のヌード写真を披露。
− 寺山修司谷川俊太郎がビデオによる往復書簡『ビデオ・レター』を開始。翌年5月に寺山が亡くなるまで続けられる。
●1983年
9月:「新潮日本文学アルバム」刊行開始。第一回配本は『太宰治』。
秋:フジテレビのキャンペーンCMで林真理子いいとも青年隊と共演。キャッチコピーは「この秋おもしろロマン フジテレビ」。
1984
春:フジテレビのキャンペーンCMで橋本治おかわりシスターズと共演。キャッチコピーは「軽チャーっぽい。春の8チャンネル」。
6月:有吉佐和子が『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演、いわゆる“番組ジャック事件”が起きる。有吉はその直後8月30日に急逝。
11月:夏目漱石の肖像を描いた新千円札発行。/写真週刊誌『フライデー』創刊号(11月9日号)に三島由紀夫の自決直後に警察が証拠写真として撮った生首が掲載される。
●1986年
4月:田中康夫がテレビ番組『OH!エルくらぶ』(テレビ朝日)の司会を務める。
− 島田雅彦が女装写真を披露。『婦人公論』にその体験手記を寄稿。
●1987年
10月:村上龍がホストを務めるトーク番組『Ryu's Bar 気ままにいい夜』(毎日放送・TBS系)放映開始(〜1991年3月)。
− 山田詠美、その4年前にアルバイトでヌードモデルをしていた時の写真を『平凡パンチ』に無断で掲載され激怒、同誌編集部に乗り込む。
●1992年
11月:横尾忠則が60年代から70年代にかけてスターたちとともに撮った写真集『記憶の遠近術』(篠山紀信撮影、講談社)刊行。日の丸を背景にふんどし姿の三島由紀夫とともに撮った写真も初めて発表される。作家ではほかに澁澤龍彦深沢七郎が登場。
●1993年
9月:筒井康隆が自作の表現をめぐる自主規制に抗議して「断筆宣言」(1996年12月解禁)。これを機に芸能活動に重点を置き始め、テレビや映画への出演が増える。
●1994年
9月:最晩年の井上光晴(1992年5月30日没)を追った原一男監督のドキュメンタリー映画全身小説家』公開。
●1996年
12月:篠山紀信写真集『完本・作家の仕事場』(新潮社)刊行。これまで『小説新潮』に発表してきた作家134人分の写真に加え、本書のために撮りおろした柳美里の写真を収録。
●1998年
7月:神蔵美子写真集『たまゆら』(マガジンハウス)刊行。島田雅彦をはじめ作家・評論家などの女装写真をまとめたもの。
11月:青森で開かれた第21回日本文化デザイン会議での行事として、劇団天井桟敷が15年ぶりに復活、青森市内で同時多発的に行なわれた市街劇に市民100人が寺山修司の顔写真でつくったお面をつけて参加する。
●2000年
6月:田沼武能写真集『作家の風貌』(ちくま文庫)刊行。
●2001年
5月:小林紀晴写真集『小説家』(河出書房新社)刊行。伊藤たかみ・大鋸一正・角田光代椎名誠・篠原一・清水アリカ鈴木清剛清野栄一中原昌也藤沢周星野智幸村上龍素樹文生山田詠美らの写真と小林によるインタビューが収録される。
●2003年
3月:『en-taxi』創刊号よりリリー・フランキー撮影によるシリーズ「作家の遺影を撮る」開始。第一回は久世光彦
5月:“覆面作家舞城王太郎が『阿修羅ガール』で三島賞受賞。翌月行なわれた受賞式には大方の予想通り欠席し、主催する新潮社社長が「他の人は真似しないでいただきたい」と異例のコメント。
●2004年
1月:綿矢りさ金原ひとみがそれぞれ「蹴りたい背中」「蛇にピアス」で芥川賞受賞。そのルックスも含めて格好の話題を呼び、インターネット上にはアイコラ写真まで出回る。
3月:高校時代の舞城王太郎を撮ったものとされる写真が『噂の真相』4月号(休刊号)に掲載される。
11月:樋口一葉の肖像を描いた新五千円札発行。
●2005年
1月:阿部和重グランド・フィナーレ」で芥川賞受賞。授賞記念パーティーで撮られた「うさちゃんピース」写真が一部で話題に。
8月:荒俣宏京極夏彦宮部みゆき大沢在昌らが出演した映画『妖怪大戦争』(三池崇史監督)公開。/三島由紀夫原作・監督・主演の映画『憂国』のネガフィルムが三島邸の倉庫から発見される(上映用のフィルムは瑶子夫人の要望で三島没後の1971年に焼却処分)。同作は来春にも『決定版 三島由紀夫全集』(新潮社)の別巻として、DVD化される予定。