10数年ぶりの明治村(1月4日)

ええと、元日から今週週明けの8日まで、久々に一週間以上も実家のある愛知へ帰省しておりました。

これは我が家の正月料理です。豪華でしょ?


というのはウソで、これは正月5日に、高校時代の遠足以来10数年ぶりに訪れた愛知県犬山市明治村で撮ったスナップの一枚。商家の東松家住宅の内部に展示されていたもので、昔の商家の正月料理を再現したサンプルです。
明治村には、高校の遠足以前にも子供だった時分に小学校の遠足や父親に連れられて何度か訪れたことがあるのですが、そのころはまだ、建物をじっくりと味わうといったことよりも、むしろ村内を走る汽車に乗ったりすることのほうが楽しかったような気が。それが、最近になって建築全般に関心を抱くようになったせいもあってか、ようやく明治村の本来の愉しみに気づきました。
今回再訪して印象に残った建物は多々ありますが、とりわけ西園寺公望邸の坐漁荘はよかったです。採光が広くとられ、とても開放的な感じ。建物内部を案内してくれたボランティアの方によれば、移築前は窓から駿河湾が見渡せたそうで、風の強いときなど、庭先に海から魚が飛ばされてくることもあったとか。なるほど、海が間近で、家に坐りながらにして漁ができそうな場所に建っているから「坐漁荘」なのですね。明治村に移築された現在では、人口湖の入鹿池駿河湾に見立てるかたちで建っています。

1919年に建てられたこの邸宅は(ということは明治ではなく大正の建物なのですが)、木造建築で古風なたたずまいですが、その内部には、風呂場も含め各部屋に女中部屋に通じるブザーボタンが取りつけられ、用事のあるときはそれを押して書生や女中を呼ぶことができたそうです。大正初めに建てられた邸宅にそんな現代的な設備が備わっていたとは驚きました。
ところで、坐漁荘の玄関はこんな感じ。

この玄関先には西園寺の等身大パネルと並んで、もうひとつパネルが置かれており、そこには「西園寺公望のおともだち」として近衛文麿が紹介されていました(拡大写真)。それも「私の父の近衛篤麿は西園寺さんとは政敵でしたが、私は折に触れて相談に乗ってもらったり、西園寺さんにはとてもお世話になりました」という内容の“近衛君”のお言葉つきで。
このようなパネルは、坐漁荘だけでなく、明治村の多くの建物に置かれていました。子供の見学者にも、建物ゆかりの人物に親しみをもつことで歴史を学んでもらおうという企図なのでしょう。
さて、もうひとつ、明治村の建物から。

これは、昭和2年(ということは明治建築ではないわけですが)に東京日本橋に建てられた川崎銀行本店なのですが、元からこういう形で建っていたわけではありません。本来はこんな形で建っていました。ようするにこれは建物の一角を部分的に移築したものなのです(ちなみに建物の階上部は展望台になっています)。こんな中途半端な形でしか保存できないのなら移築しないほうがマシという意見もあるようですが、これはこれでポストモダン建築っぽくて、ぼくは結構気に入りました。
今回の明治村訪問では、昼前の11時ぐらいから閉村する16時まで時間はかなりあったのに、結局全部の建物をまわれなかったのが残念。せめてもう1時間あれば……。3月から10月までは閉村時間がもう1時間延びて、17時までになるので、機会があればまた行きたいものです。
とはいえ、最寄り駅である名鉄犬山駅からバスで30分ほどかかるのが、難といえば難ですね。以前は犬山駅から直通バスが出ていたはずなのですが、現在この区間には普通の路線バスが走るのみ。しかも料金が、経由距離が短い場合で310円、遠回りになると410円もかかってしまうのが痛い。
 ■
帰省中は明治村以外にも、昨年開園したばかりの愛・地球博記念公園や、愛知県図書館、これまた昨年開館したばかりの栄のロボットミュージアムにも足を運んだのですが、これらについてはまた追い追い。