中野幹隆氏死去(1月14日)

中野幹隆という人については、ぼくはせいぜい、ニューアカ・ブームを仕掛けた伝説的編集者だとかそんな噂を仄聞するにすぎないのですが(各紙に出た訃報では、そういった故人の横顔にはまったく触れられてませんね)。くわしいことはおそらく坪内祐三とかそういう人たちがどこかでまた書くでしょうから、ここではメモ程度にとどめます。
ぼくがこの人の名前を知ったのは、山口昌男『笑いと逸脱』(ちくま文庫、1990年)の中森明夫による文庫版解説からでした。

(……)あれは八五年の春のこと、「新人類の通過儀礼だ」とかなんとかムリヤリ『朝ジャ』(=『朝日ジャーナル』――引用者注)編集者に新宿ゴールデン街に引き廻されたのだ。山口昌男は、あのお得意の調子で“中野幹隆一代記”という語り物をやってくれた。中野幹隆という人は『パイディア』『現代思想』から『エピステーメー』編集長へ、そして当時『週刊本』の編集長として燦然と輝いていた伝説のアカデミズム系編集者氏である(現・哲学書房主宰)。実際お会いするまで僕は『エピステーメー』のあとがき等々から想像して「中野幹隆という人は、おそらく“松岡正剛のホンモノ”のような人に違いない」と思い込んでいた。色白でやせぎすの肺病持ちだろうと。ところが実物は、北大路欣也を彷彿とさせるヤリ手の中古車ディーラーといった感じの目のウルウルした人なので驚いた(山口昌男の表現を借りれば「中野のあのトロンとした目」のこと)。

松岡正剛のホンモノ」というたとえが、いまだによくわかんないけど、妙におかしいです。
中野幹隆とほぼ同時代に現代思想系、ニューアカ周辺の編集者として名を馳せた人物としてはほかにも、小野好恵、安原顯三浦雅士といった人たちの名前が思い浮かびます。三浦氏はまだ健在ですが、小野氏と安原氏はすでにこの世にいません。中野氏もまた、63歳でガン死と、いまの平均寿命から考えればやはり早世といえます。
自宅の本棚を漁ってみたら、中野氏の主宰する哲学書房から刊行された本では、四方田犬彦の『哲学書簡』と『叙事詩の権能』が出てきました。参考までに、『哲学書簡』のページに挟まれた1987年の刊行案内から、当時の既刊タイトルをピックアップすれば……蓮實重彦『陥没地帯』、ミシェル・フーコー豊崎光一・清水正訳『これはパイプではない』、ジャック・ラカン宮本忠雄・関忠盛訳『家族複合』、柴谷篤弘養老孟司『恐龍が飛んだ日 尺度不変性と自己相似』、ジョルジュ・バタイユ西谷修訳『〈非‐知〉 閉じざる思考』、ジル・ドゥルーズ、原田佳彦・丹生谷貴志訳『原子(アトム)と分身(ドゥーブル) ルクレティウストゥルニエ』などといったぐあい。
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