渡辺氏といえば、つい最近創刊された『BUBKA時代』という雑誌で「渡辺和博のこんな時代」という連載をはじめたばかりで、そのプロフィールに『キン・コン・ガン!――ガンの告知を受けてぼくは初期化された』という近著があげられているのを見て、「え、ナベゾがガン告知された!?」と驚いていたのですが、まさかこんな早くに亡くなられるとは……。
哀悼の意を込めて、以前、私がミニコミ紙『サブカル評論』の企画「天使の辞典・サブカル淑女紳士篇」に書いた、渡辺氏の項目を転載します。
渡辺和博【わたなべ-かずひろ】①経済学者。1984年、同じ職業でもライフスタイルは所得の違いにより異なるということを、マル金・マルビ(マル経にあらず)という分類法を用いて証明。同年、第1回新語・流行語大賞(流行語部門金賞)を受賞。そのほかにも、「『主張』が多いと『収入』は減り、逆に『主張』が少なければ『収入』は増える」「戦後の日本文化は『ホーケー』と『ズルムケ』に分類される」などといった画期的な定理を次々と発見した。②経済学の師匠は「模型千円札」の制作で知られる赤瀬川原平だと思われる。③愛称・ナベゾ。④『ガロ』の元編集長でもある。⑤「ガマン汁」という言葉を考案したのもこの人。
(『サブカル評論』第6号、2004年8月)
渡辺氏を経済学者に見立てたのは私のオリジナルではなく、たしか、美学校での師匠・赤瀬川原平氏が何かでそう書いているのを読んだ記憶があるのです。ちなみに、美学校での赤瀬川氏の教え子には渡辺氏以外にも、同じく『ガロ』編集長を歴任した南伸坊氏などがいますね。
マル金・マルビの流行語を生んだ代表作――若き日の神足裕司氏との共著ですが――『金塊巻』以後も、『金塊巻の謎』『物々巻』と続いた一連のシリーズは、いま読むと貴重な時代の資料になっているように思います。
そういえば、『金塊巻』に先立つベストセラーに『見栄講座』がありましたが、それで一気に世に出たホイチョイ・プロダクションズが今週末、バブル期を舞台にした映画『バブルへGO!!』を公開するというのも何かの因縁でしょうか。きのうの深夜には、80年代末にホイチョイの企画でヒットしたフジテレビの深夜番組『カノッサの屈辱』が、くだんの映画公開にあわせて一夜かぎりの復活を果たし、そこでは携帯電話の歴史がヨーロッパ史になぞらえられて紹介されていました。
携帯電話関連では、先述の『物々巻』にも「電話」という一章が設けられ、そこでは「これからの電話」と題して渡辺氏のイラストとともに次のようなキャプションが付されています。
『コードなし』は、部屋じゅう引っぱり回さないといけないコードがなくなる。しかし、子供のいるウチだと、電話機がなくなって、いざ、かかってきても、さがし回らなくてはならない。おもちゃ入れの中にあったりする。『ウォーキング・テレホン』の時代もくる。そうなると、道、車、電車の中とどこでもかけられるようになるが、朝日新聞の「声」欄に「最近、若者の間の……」という投書が載る。同時にウォーキングテレホン文化もでき「ウォーキングテレホンの修辞学」というのを、浅田彰的な人が書く。『カードテレホン』は、電卓があんなに薄くなったように、いつの日か電話も手帳の中におさまる。商談をしていても「じゃ、ちょっと電話してみましょう」とその場で、手帳のポケットから抜き出すようになる。同時に、落としたときは、すぐにNTTに無効届けを出さないとたいへんなことになる。
(渡辺和博とタラコプロダクション『物々巻』主婦の友社、1987年)
ちょうど20年前に予測されたこれら三つのタイプの電話は、いまや携帯電話に集約されて実現しています。ま、電話の進化は当時でもリサーチを行なえばある程度予測はできたのでしょうが、このキャプションではそれがもたらす人々の行動まで予見していて、それがまたほぼ的中しているから驚きます。
さらに渡辺氏の描いた「ウォーキング・テレホン」の予想図(画像参照)を見れば、電車内にてレシーバー型の電話で会話をするギャルに対して、激怒するオヤジとともに、「車内の大声電話はメイワクです!……NTT」なんて車内広告も描きこまれたりしているではないですか。こんな広告が登場するほどウォーキング・テレホン=携帯電話が普及すると20年前の時点で予測していた人は、技術者ならいざ知らず、一般ではそんなにいないんじゃないでしょうかね。
そんなふうに振り返ってみると、あらためてナベゾ氏の慧眼に感服させられます。