「週刊ビジスタニュース」11月28日配信分に掲載された拙稿「“広告ブーム”の総仕上げとしての細川政権」はそもそも、一昨年に『ユリイカ』の臨時増刊『オタクVSサブカル!』に寄稿した、「カミガミの黄昏――〈一九九三年〉以前・以後」に追記として以下のようなことを書いたことが発端になっています。
本稿では一九九三年に起こった変化について自分なりにまとめてみたつもりだが、あくまでも「神」というテーマにこだわったがために、文中では省いた事柄もある。たとえば細川護熙を総理とする非自民連立政権の誕生と、そこで果たしたテレビや広告の役割などについても触れたかったところである。これについてはぜひまたどこかで書いてみたい。
ビジスタ担当のかんば氏がこの一文を覚えていて、今回あらためて同メルマガでこのテーマについて書かせてもらうことになったのでした。
個人的には、1993年というのは1960年代末以降の(より限定するなら「80年代的」とされる)日本のサブカルチャーの一つの帰結となる年だととらえており、それを示す事例の数々を、前述の『ユリイカ』増刊の原稿以外にも、西原理恵子論(『ユリイカ』2006年7月号掲載の「〈母〉のジャーナリズム――西原理恵子と〈マンガ・ジャーナリズム〉」)でも紹介してきました。今回、93年における政治と、80年代的な広告文化と関連づけることで、拙論をさらに補完できたように思います。
ただ、メルマガという形態ゆえにあくまでもテーマを「政治と広告」に絞ったため、本稿から漏れたトピックもあります。そのいくつかをここでメモ程度に紹介しておきます。
●西武との関係
本稿では細川護熙と80年代の広告ブームとの関連をとりあげたわけだが、もうひとつ、本稿ではとりあげられなかった「80年代的なもの」とのかかわりでいえば、西武鉄道グループのトップだった堤義明との親交がある。
細川は熊本県知事時代(1983〜91年)に、「阿蘇高原リゾート」「天草海洋リゾート」と二つの大規模リゾート開発を推進し、西武がそれを請け負っている。あたかもバブルの真っ只中であり、中曾根内閣で成立した「リゾート法」(総合保養地域整備法)により、各地方でリゾート計画が推進されていた時期である。従前より軽井沢をはじめ各地で保養地の開発を手がけてきた西武にとって、さらに躍進する絶好の時期だったことはいうまでもない。
さて、西武にとって、熊本でのリゾート開発を請け負ったことは、単に利潤を得るという以外にも思惑があったのではないか。それは一言でいえば、「細川護熙」というブランドの利用である。
猪瀬直樹が『ミカドの肖像』であばきだしたように、西武は戦後、元皇族の土地を買い占め、そこに自社のホテル(プリンスホテル)を建設していくことで企業イメージを高めていくという戦略を展開してきた。それと同じことが、熊本のリゾート開発でも行なわれたのではないか。すなわち、肥後熊本藩主の末裔という細川のブランドイメージを、西武は自らの企業イメージ向上のため利用したのではないか、と。毛並みのよさだけではなく、西武が開発した軽井沢に別荘を所有していたことや*1、スキー(知事時代には国体にも出場した)やテニスといった西武のリゾート地とは馴染み深いスポーツに親しんでいた点など、細川は西武の広告塔に選ばれるにふさわしい要素を多々持っていた。
結局、細川が知事時代に進めた熊本でのリゾート開発とは、観光振興によって地元への利益誘導を企む細川と、西武・堤の上記のような思惑の一致から生まれたものだったのではなかろうか?
余談ながら、細川の生来のブランドに目をつけたと思われる人物は堤だけではない。細川は自民党の参院議員時代(1971〜83年)に田中派に所属したが、派閥の長である田中角栄は、衆院では小沢一郎を、参院では細川をとりわけ寵愛したという。裸一貫でのしあがった田中だからこそ、自分の持っていないブランドを持つ細川に目をかけたということは容易に想像できる。
ちなみに、1974年、首相だった田中に金脈問題が持ち上がった際、細川は退陣を強くすすめたという。一説には、田中の首相辞任の表明文を書いたのは細川だという話もあるほどだ。
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西武の話が出たついでにもう一つ。
今年10月から12月にかけて神奈川県大磯町にある旧吉田茂邸庭園(邸宅設計は吉田五十八が手がけた)が一般に公開されたのだが(参照。僕も見学申込みをしたものの残念ながら抽選に漏れた)、ここを現在どこが所有しているのかといえば西武鉄道なのである。西武と大磯の関係は、大磯ロングビーチ(プリンスホテルに併設)だけではないのだ。ここにもまた、「ブランドイメージを有する土地」に対する西武の抜け目のなさというのが垣間見える。
堤義明の逮捕以後、西武の失墜ということがよくいわれるが、その所有する土地の資産価値を考えると、まだまだ十分な力を蓄えているといえそうだ。
●歴代首相とベストドレッサー賞
細川は、新語・流行語大賞は受賞できなかったものの、ベストドレッサー賞(1993年)には選ばれている。現役の首相でこの賞を受賞したのは、いまのところ彼だけである……ということは本稿にも書いた。
ちなみに、現役以外の首相経験者となると、佐藤栄作が退任後(73年)に、橋本龍太郎(90年)と安倍晋三(2002年)が就任前にそれぞれ受賞しているが、いずれも流行語大賞の受賞経験はない(ま、佐藤の場合、流行語大賞創設の前に亡くなっているので当然ではあるが)。こうして見てくると、「首相経験者は、流行語大賞とベストドレッサー賞をどちらか一方しか受賞することができない」というジンクスでも生まれそうである。
なお次期首相との呼び声の高い麻生太郎は、政界進出前の77年、麻生セメントの社長時代(当時37歳)にベストドレッサー賞に選ばれている。さらにいえば、ちょっと前まで首相待望論のあった石原慎太郎は、75年に「学術・文化部門」で*2、99年には「政治・経済部門」で、それぞれベストドレッサー賞を受賞している。