放送作家の塚田茂氏が今月13日に亡くなられたという報道が。
塚田茂がどういう人かは、僕が先月メルマガに寄稿したコラムでも少し紹介したのだけれども(「放送作家のあがり方」、メルマガ「週刊ビジスタニュース」、2008年4月9日配信分に掲載)、ある世代から下の世代には「高田文夫の師匠」というのがいちばんわかりやすいだろう。
たまたまきのう近所でやってた古本市で、山藤章二の『対談「笑い」の構造』(講談社文庫、1991年)という本を買い求めぱらぱら読んでいたら、高田文夫が山藤との対談で塚田茂について次のように話していた。追悼の意味をこめて引用しておく。
高田 日大芸術学部に入って、落語研究会っていうのに入って、落語家になってもいいし、物書きになってもいいしと、両方やってたんですよね。で、卒業が近くなってやめなきゃなんない。どうも放送作家の方が早くモノになりそうだってんで、塚田茂さんの弟子になったんですね。
山藤 塚田さんて、むかし日劇のレビューものの本を書いてたひと……。
高田 そうです。それで三橋美智也をデビューさせたひと。でも「雲の上団五郎」なんかもずっとやってたんですよね。それと当時の脱線トリオ、あの座付き作家ですよ。あと、てんや・わんやのネタ全部。だからてんや・わんやの大きい方の人は塚田茂にそっくりですよ、動きが。結局僕の大学時代っていうのは、青島(幸男――引用者注)さんがもうこの世界にいなかったでしょ、選挙の方に行っちゃってて。だから(引用者注――昭和)四十五、六年つうのが塚田茂ブームみたいなのがあって、「夜のヒットスタジオ」を企画して……。
山藤 ああ、どんどんクジラ。
高田 どんどんクジラで売り出した頃ですよ。当時「お昼のゴールデンショー」「ラブラブショー」みんな当たって、フジテレビに銅像が建つなんて噂があったくらいで……。あの人しか売れてる人がいなかったんで、とりあえずあの人のとこへ行っちゃったんです。
文中出てくる「どんどんクジラ」というのは、『夜ヒット』などの番組に作家として参加するのみならず出演もしはじめた彼を指して、同番組の司会者だった前田武彦が命名したニックネームなんだそうな。