『未来への遺産』を残したディレクターの遺産

 日付が5日に変わろうとする頃、中日新聞のサイトで元NHKディレクターの吉田直哉の訃報を知る。先月30日に亡くなったという。現在の大河ドラマや「NHKスペシャル」に代表される大型ドキュメンタリーの原型をつくったのもこの人で、その功績は計り知れない。ちなみに吉田の父親はガン研究の権威であり、「吉田肉腫」にその名を残す吉田富三。吉田直哉はこの父の評伝もものしている。
 吉田直哉といえば、3年前のちょうどいまぐらいの時季、愛宕山にあるNHK放送博物館へ講演を聴きに出かけたことがある。このときとくに印象に残ったのは、NHKに入局まもないころ、ラジオ番組で作曲を依頼するため早坂文雄のもとを尋ねたところ、すでに病床にあった早坂は自分ではなく若手の作曲家を推薦、それが若き日の武満徹だった、という話。それ以来、吉田と武満は、大河ドラマ源義経』(1966年)や大型海外取材番組の先駆けである『未来の遺産』(1974〜75年)などたびたび仕事をともにすることになる。講演会ではこのほか、『未来への遺産』のシナリオの現物を見せてもらうなど、なかなか貴重なひとときだった。
 『未来への遺産』は数年前、Gyaoで配信されていたのを何本かまとめて観たことがある。同シリーズでは全編にわたり、かつてその地域ごとに栄華をきわめたはずの文明がなぜ滅びてしまったのか? という視点をもって世界中の遺跡が紹介されていたのだが、これはやはりご本人が先述の講演会でも話していたように、第一次石油危機やローマクラブの「成長の限界」というレポートの発表などといった時代背景があったからこそだろう。
 『未来への遺産』には、そんな時代を背景にした人類への警告とともに、一種の廃墟への憧憬のようなものも込められている。同番組で音楽を手がけた武満もまた、吉田と同様に「廃墟志向」を持つ一人だったようだ。両者は『未来への遺産』からさかのぼること12年前には、その題名もずばり『廃墟』というテレビ・ドキュメンタリーも手がけている。以下、吉田の著書『映像とは何だろうか』(岩波新書、2003年)から廃墟について武満が書いた文章を孫引き。

 吉田氏から「未来への遺産」制作について聞いた時、私はこの「廃墟」というフィルムのことを思いだした。廃墟志向、というようなことばはあろう筈もないが、ふと、そんなことばが浮かんだ。吉田氏と私は同世代であり、空襲を体験している。空襲については悲惨な記憶が多い。だが、焼け跡の、すべてを消失した廃墟に立って、早朝、私の感情は意外なほど落ち着いた透明なものであったように思う。存分に泣いたあとの、涙も涸れて空っぽになったように、反(かえ)って爽快な気分があった。それは充足ということはないだろうが、その時私のうちにあった想念はけっして否定的なものではなかった。
 (初出はPOCG3650、1977年5月5日)

 ちなみに武満は1930年生まれ、吉田はその一つ年下にあたる。ともに多感な時期に空襲と敗戦を迎えていることになる。同様のことはやはり同世代(1931年生まれ)の磯崎新にもいえそうだ(磯崎は、ミラノ・トリエンナーレでのインスタレーション「エレクトリック・ラビリンス」など初期の作品で都市の廃墟というイメージを提示している)。