1986年4月に何が起こったか

 本日配信のソフトバンククリエティブのメールマガジン「週刊ビジスタニュース」に、「千葉と青春の旅立ち――政治家・森田健作の遍歴」というコラムを寄稿しました。
 きょう4月8日はくしくもというべきか、森田が所属事務所・サンミュージックの後輩としてかわいがっていたという、岡田有希子の命日でした。
 これは以前ちょっと調べていて気づいたことですが、岡田有希子がみずから命を絶った日(1986年4月8日)の前後というのは、日本にとってのちのち影響を残すような大きなできごとがあいついだ時期でもありました。
 たとえば、4月8日の新聞各紙の朝刊には、トップニュースとして前日の4月7日に、中曽根内閣の設置した「経済構造調整研究会」が報告書を首相に提出したことがとりあげられていました。この報告書は内需拡大をはじめ、市場開放や金融自由化などを提言したもので、研究会の座長を務めた前日銀総裁前川春雄の名前から「前川レポート」という通称で知られています。
 また、4月8日の『日本経済新聞』の前川レポート提出を伝える記事の下には、東京の再開発に関する記事が二つ載っていました。
 一つは、前日に自民党の「民活導入特別調査会」がまとめた提言に関する記事で、その内容はといえば、東京の再開発地区として臨海部の埋め立て地、東京駅周辺、汐留貨物駅跡地をあげ、これら地域に連絡橋や道路など交通網の整備や、オフィスビルの建設を行なおうというもの(この計画には、内需拡大と地価高騰の防止というねらいがありました)。
 もう一つは、国土庁による土地政策についての記事で、国土庁は外国企業の東京進出などで増えつつあったオフィス需要にこたえるため、13号埋め立て地(現在のお台場ですな)や汐留駅跡地を活用する計画を進める方針だとあります。
 4月7日はまた、上記のような東京都心の再開発計画が各方面から提案された日であるとともに、西新宿に建設される新都庁舎の設計がコンペの結果、丹下健三の案に決定した日でもありました。
 1986年4月は、前年9月のプラザ合意以来の急激な円高の進行による不況のさなかでした。不況を打開するため、すでにこの年の1月と3月には各0.5%の公定歩合の引き下げが行なわれていましたが、4月に入ってからもなお、8日に渡米した竹下登蔵相が、ベーカー米財務長官から日米間の経常収支不均衡を理由にさらなる利下げを求められています。
 日銀はこの時点では、年内三度目の公定歩合に踏み切るか慎重な態度をとっていたものの、結局、2週間後の4月21日にはふたたび0.5%の利下げを、アメリカと協調するかたちで実施しました。さらに11月になってもう0.5%下げ、公定歩合はこの年だけで3.0%まで引き下げられました。そのかいあって大量の資金が市場に流入し、86年末あたりから景気は徐々に上向いていきます。ただ結果的にこの時期における利下げは、土地や株への投資をうながし、バブルを発生させてしまったわけですが。
 さて、いま一度岡田有希子の自殺に話を戻せば、彼女が飛び降りたサンミュージックのビルは、四谷四丁目の交差点の一角にあります。この地点には江戸時代、四谷大木戸門という、甲州街道を通って江戸市中に入る通行人や荷物を取り締まる関所が置かれていました。現在の新宿は四谷大木戸の外、すなわち江戸の外にあることになります。そう考えると、新都庁舎がそれまでの有楽町から新宿に移ったことは、東京が、江戸という都市のスケールを完全に超越したことを意味する象徴的なできごとだった、ということもできるかもしれません。
 なお、四谷四丁目の交差点から甲州街道へは現在、新宿通りを分岐するかたちで新宿御苑トンネルという自動車専用の道路が通っていますが、1986年当時このトンネルはまだ存在しませんでした。新宿御苑トンネルは翌1987年に着工され、1991年12月(都庁の新宿移転と同じ年)に開通します。同トンネルの開通で、都心から迂回することなく、まっすぐ甲州街道に入れるようになりました。このことが少なからず契機となっているのでしょうか、その後、甲州街道の沿道では新宿駅南口周辺を中心に再開発が活発化し、1996年に開店したタカシマヤタイムズスクエアをはじめ、NTT東日本の本社ビル、東京オペラシティ新国立劇場などが次々と建設されていきます――。
 ……と、今回のメルマガ原稿で書ききれなかったネタをあげようと思ったのに、マクラだけでこんなに長くなってしまいました。とりあえずメルマガ原稿の「補遺」は、またこちらのサイトに転載されるのを待って、エントリをあげたいと思います。しばしお待ちを。
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 本エントリの関連書籍。

前川春雄「奴雁」の哲学―世界危機に克った日銀総裁

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磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ

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 このうち『前川春雄「奴雁」の哲学』は、ちょっと前に読了。同書は前川春雄についてその没後初めて一冊にまとめられた評伝(前川は遺言で評伝の刊行を禁じていた)で、それなりに興味深く読んだものの、経済・金融について専門的な部分がちょっとわかりにくく(それでもかなり平易に説明されているとは思うのだけれども)、自分の勉強不足を感じてしまいました。
 ただ、前川が日銀総裁就任早々、第二次石油危機に際して、インフレを回避するべく予算審議中の公定歩合引き上げをときの首相・大平正芳から了解を得て実施するくだりは、塩田潮の書いたもの(『昭和をつくった明治人(下)』所収の評伝)のほうが個人的には面白かったかも。あと、日銀総裁退任後に手がけた「前川レポート」について、後世への影響などもう少し突っ込んでとりあげてほしかったですね。
 ついでに、「地位に連綿とすることがない」といった表現が本文中いくつか登場していましたが、たぶん「恋々とすることがない」の間違いでしょう。まあ、誤字脱字は見落としてもしかたないところがありますけど、こういう語法の間違いは編集者がきちんとチェックしてほしいものです。
 なお前川春雄については僕も以前から、兄で建築家の前川國男とからめていつか書いてみたいと思っているのですが。