忌野清志郎、がんに死す

 夜中、ネットのニュースでその訃報を知る。TBSテレビでの第一報を伝えた安住紳一郎が、忌野「セイシロウ」と読んでいたのには少々憤慨したが、その横でビートたけしが、売れる前にはRCサクセションの前座を務めたこともあるといった話をしていて、興味深かった。
 ビートたけし清志郎といえば、こんな映像YouTubeにUPされていた。画質はよくないが、「つ・き・あ・い・た・い」を歌う清志郎のまわりに、たけしのほか、糸井重里坂本龍一といった当時のカルチャースターが勢ぞろいしているのがうかがえる。曲の途中で、清志郎アントニオ猪木が肩車するという超レアなカットも。おそらく、NHKの若者番組『YOU』の正月スペシャル(1983年放映)での映像だと思われる。
 世間の常識に反抗するというのが従来のロッカーの常識だったとするなら、その手の「ロッカーの常識」に反抗したのが清志郎だったのではないか。たとえば、テレビやCMへの出演を拒まないとか、家族を大事にするとか(清水建設のCMソングだった「パパの歌」なんかは象徴的だが)、クスリはやらないとか、サイクリングなど健康的な趣味を持つとか、そういうロッカーは清志郎以前にはいなかったような気がする。もちろん、一方で彼は、有名な「原発ソング」や「君が代」の事件に代表されるように、社会に反抗するロッカー像を体現し続けた最近では稀有な存在でもあったわけだけれども。
 もう一つ、清志郎に関して僕が書きとめておきたいのは、彼が中日ドラゴンズのファンだったということ*1。これは鈴木ヒロミツが亡くなったときにも書いたが、どうもドラゴンズファンのロッカーにはがんがつきまとうジンクスがあるようで……。清志郎もまた、一度は復活しつつも、このような結果になってしまって、無念というしかない。
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 きょうはまた、社会党委員長・浅沼稲次郎の暗殺の瞬間を撮影し、日本人として初めてピュリツァー賞を受賞したカメラマンの長尾靖の訃報もあった(共同通信の記事毎日新聞の記事[写真あり])。

*1:例の原発ソングの騒ぎのあった1988年に、ドラゴンズがリーグ優勝したのがファンになるきっかけだったようだ。1999年の優勝時にはほら貝を吹いて祝福していたのが印象に残っている。