先週に続き、今週も日経ビジネスオンライン「日刊新書レビュー」に寄稿しました。
- 作者: 藤木 TDC
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/05/27
- メディア: 新書
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まあ、個人的には懐かしい個人名も多々あったのだが。長瀬愛とか。僕がAV評を書いていた雑誌(『マガジン・ウォー』)では、その人気に乗って「騎乗位の天使・長瀬愛物語」という実録マンガも連載されていたっけ(全然知らなかったけど、単行本化もされたんですね)。
- 作者: 近石雅史
- 出版社/メーカー: マガジン・マガジン
- 発売日: 2003/07
- メディア: コミック
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村西とおる監督の『SMっぽいの好き』(1986年)に主演したことにより、一躍ときの人となった(なにしろ、初期の『朝生』に出ていたほどなのだ)黒木は、自身のビデオにおける“パフォーマンス”について、当時の雑誌(『アサヒ芸能』1987年3月19日号)に寄せた手記のなかで「演技ではない、あくまで性表現」と述べている。それに対して著者は、《それは演技といってもいいのではないかと考える》とした上で次のように書く。
ただ演出者の指示によって造形されるメジャー映画の既成の演技ではなく、演出者と演技者が互いのフィーリングを尊重しあって自由に、緩やかに作りあげられるインデペンデント映画、自主映画の「演技」に近いものではないかと思えるのだ。
その傍証としてあげられているのが、黒木がAVデビュー以前、横浜国大在学中に同大学生の制作した自主映画『インディーポピンズ・キャンディーポピンズ』に出演していたという事実だ。
実はこの映画の監督は、学生時代の岩井俊二なのだが、彼の《演技者に芝居の押しつけをせず、自然な流れにまかせてキャラクター作りを協業する演出スタイルは当時も同じだったようだ》。この事実をふまえ、著者はいちおうこう結論づけている。
その現場を踏むことで黒木香が自己表現を学んだならば、AVにおける彼女の表現は、自主映画的な「演技」の拡張形態だったといえるのではないか。
この挿話は、AVがほかのジャンルから貪欲ともいえるほど多くのものを取り込んでいたことを示す一例だと思う。
あと、本書を読んでいて驚いたのは、「デジタルモザイク」と呼ばれる激薄のモザイクについて、「デジタル」というぐらいだから、さぞ高度な電子技術が使われているのかと思いきや、実際は、〈オペレーターが十数人がかりで1秒間に30コマ表示される静止画の1コマ1コマに〉かけていた、という事実。まったく、涙ぐましいまでの労力がかかっていたのですなあ。
■
本書の著書が5年前に上梓した『アダルトメディア・ランダムノート』(ミリオン出版)については、刊行直後に、『ウラBUBKA』という雑誌で書評を書いていた。せっかくの機会なのでここに転載しておく。文字数があまりなくて、十分に紹介しきれなかったのが残念だが。
ヘアヌード解禁に始まり、ヘアやアナルにはモザイクをかけないインディーズAVの登場や、フーゾク物や熟女物AVのブームなどが示す男のセックスの受動化、AVの影響を受けて多様化する風俗業界、VHSからDVDへの移行…などなど、いやーこの十数年の間にいろんなことがあったもんだと、この本を読むとついつい感慨にふけってしまう。とはいえ、いまだにAVからモザイクが消えることはなく、性表現に関して根本では何も変わっていないのもまた事実。おまけに政府や自治体による規制は年々強くなるばかりだ。
こうした状況を覆そうとしているのが、日本で撮った映像素材を規制のない米国で編集し、ネットを通じて販売されるいわゆる「逆輸入DVD」(もちろん無修整)の存在だ。個人輸入が多いため税関で阻止することも難しいこの手のソフトに対し、従来の法規制ではもはや追いつかない状態になっている。だったらいっそ規制を撤廃し、今後は日本が独自に育んだ文化の一つとしてAVを積極的に海外へ輸出していくべき、というのが本書の著者・藤木の主張だ。
果たしてエロにおける「開国」の日は来るのか。僕らにとってはこれこそ一番身近なグローバル化をめぐる問題かも。●『噂の眞相』に1992年から今年4月の休刊号まで連載されたコラム「アダルトビデオ構造主義」「新性紀猥物史観」を一挙収録。各文には新たに詳細なメモが付され非常に史料性の高いものとなっている。カバー写真は都築響一。
- 作者: 藤木 TDC
- 出版社/メーカー: ミリオン出版
- 発売日: 2004/07/01
- メディア: 単行本
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――『ウラBUBKA』2004年11月号