皇太子、パ・リーグ公式戦を観戦す(ただし昭和のお話)

 このあいだの日曜日(12日)に、皇太子一家が神宮球場でスワローズ―ベイスターズ戦を観戦したというニュースで、天皇の高覧を意味する「天覧」に対して、皇太子はじめ天皇以外の皇族のそれを意味する「台覧」という言葉があることを、恥ずかしながら初めて知った。
 日刊スポーツの記事によれば、現在の徳仁皇太子のプロ野球観戦は、1988年4月、オープン直後の東京ドームでのジャイアンツ―スワローズ戦以来だという。当時はまだ昭和の御世なので、皇太子ではなかったわけだが、そもそも今上天皇の皇太子時代までさかのぼっても、プロ野球、それも公式戦での台覧試合はそんなにないはずである。同様の条件での天覧試合にいたっては、正力松太郎が読売グループの総力をあげて実現したという、1959年6月25日の後楽園球場でのジャイアンツ―タイガース戦以来行なわれていないわけだが。
 ベースボール・マガジン社が現在刊行中の分冊百科『週刊プロ野球セ・パ誕生60年』の第13号「1960年」によれば、皇太子が史上初めてナイターを観戦したのは、この年の7月17日だというから、天覧試合のほぼ一年後ということになる。対戦カードは天覧試合がセ・リーグのいわゆる「伝統の一戦」だったのに対して、同じ後楽園球場でも、パ・リーグ大毎オリオンズ南海ホークスによるダブルヘッダーのうち第2戦だというから、実に渋い。
 ちなみにこの日のダブルヘッダー第1戦では、榎本喜八山内和弘田宮謙次郎・葛城隆雄らの「ミサイル打線」を擁するオリオンズが8対0で圧勝したが、台覧試合となった第2試合では2対2の同点のまま9回を終え、延長戦に突入する。このあたりも同点のまま9回裏を迎えたものの、昭和天皇が退席するまぎわ、絶妙のタイミングでジャイアンツの長嶋茂雄がサヨナラホーマー――これについては、相手投手だった村山実は死ぬまでファウルと信じて疑わなかった、という話は有名だが――を放って劇的に(予定調和的ともいうべきか)終わった天覧試合とは対照的だ。ついでにいえば、この試合を決めたのが、10回に2点三塁打を打ったホークスの野村克也*1だったというのも、のちのちまで続く彼と長嶋との因縁を感じさせて面白い。
 ところで、ZAKZAKには、雅子妃が現スワローズ監督の高田繁の現役時代からのファンだという記事が載っていた。皇太子は浩宮時代、王貞治がホームラン世界記録達成を目前にしていた1977年の夏、毎日のように「(王は)まだ打ちませんか」と東宮侍従に尋ねていたというから、お二人ともきっと、もともとはジャイアンツファンなんでしょうねえ(いまはどうなんでしょうか)。

*1:今回の台覧試合についてノムさんにコメントを求めた新聞記者はいたのかなあ。訊いたら、このときのエピソードをうれしそうに語ってくれそうだけど。