上記のような傾向はなにも航空業界にかぎったことではなく、たとえば新幹線などにもいえることだと思う。JR東海が80年代後半から90年代初頭にかけて展開した一連の「エクスプレス・キャンペーン」は、新幹線を単なる輸送機関から、人生の節目や人と人とのつきあいをドラマチックに演出するツール(あるいはコミュニケーションメディア)へと一変させたものの、最近の新幹線の広告は、飛行機との競争を念頭に置いてかやはり利便性や速達性を強調するものが目立つ。
なお、エクスプレス・キャンペーンに一区切りがつけられたのは1992年、ちょうどのぞみの登場によって、東海道新幹線が飛行機との競争でふたたび優位に立った年のことだった。
エクスプレス・キャンペーンについては、それを手がけたCMプランナーの三浦武彦とディレクターの早川和良との対談で構成された『クリスマス・エクスプレスの頃』(日経BP企画、2009年)という本にくわしい(同書は『週刊アスキー』の書評「私のハマった3冊」[6月9日号掲載分]でもとりあげた)。
- 作者: 三浦武彦,早川和良,高嶋健夫
- 出版社/メーカー: 日経BPコンサルティング
- 発売日: 2009/02/05
- メディア: 単行本
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和田(光弘=当時JR東海のキャンペーンを手がけた電通のプランナー:引用者注) (中略)とても印象的だったのは、尾崎豊さん本人が音入れの時にスタジオに来たことですね。スリーピースにネクタイ締めて。
早川 黙って入ってきて、スタジオの隅に座ってましたね。壁によりかかるようにして、地べたにぺたんと。
三浦 そうだった。突然だったから、あれには驚きましたよね。
尾崎が26歳で急逝するのはその翌年のことである。
このほかにも同書には興味深い話が多かった。たとえば、エクスプレス・キャンペーンの第1弾となった「シンデレラ・エクスプレス」(1987年)の原点は、その2年前の1985年、CMと同じスタッフによって制作されたドキュメンタリー(TBS系の番組『日立テレビシティ』の枠で放映)にあったという。このとき松任谷由実に書き下ろしてもらったのが「シンデレラ・エクスプレス」という曲であり、番組名やキャンペーン名にもなったそのタイトルも彼女から発案されたものだそうだ。さらに放映に合わせて、『週刊モーニング』連載のわたせせいぞうのマンガ「ハートカクテル」でも、「シンデレラ・エクスプレス」と題する一編が掲載されたという。
単発の番組でありながら、ここまで大規模なメディアミックスが可能だったのは、まさにバブル前夜のこの時代ならではというべきだろうか。
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もう一つだけ、本書で気になったくだりを。「シンデレラ・エクスプレス」を企画した理由を、三浦武彦は次のように語っていた。
クリスマス・エクスプレスを企画した時の「時代の気分」は「国全体を包み込む大きな不安」でした。そこに生まれた真空状態を僕たちは埋めようとしたんですよね。
ここでいう「国全体を包み込む大きな不安」とは何だったのか? 同シリーズが始まったのが1988年だということを考えると、昭和天皇の危篤とそれをめぐる自粛ムードがすぐに思い浮かぶが。それとも、すでに突入していたバブル期(まだバブルという言葉は一般には使われず、「大型景気」というふうに呼ばれていたけれども)にあって金ばかりが幅を利かせる世の中への虚無感だったのか。
ともあれ、「時代の真空状態」を埋めあわせるものとして用意されたのが、恋愛ドラマだったというのはいかにも80年代らしい。ひるがえって日本のみならず世界全体が大きな不安に包み込まれ、あの時代とは違った真空状態にある現在、それを埋めあわせるものがあるとしたらいったい何なのだろう。