最近、東京ディズニーランド(TDL)の歴史についての本(小宮和行『東京ディズニーランド驚異の経営マジック』講談社文庫)を読んでいたら、TDLを経営するオリエンタルランドの初代社長で本来は京成電鉄の社長だった川崎千春が、阪急グループの創始者である小林一三や東宝映画社長の馬淵威雄に、のちにTDLが建設されることになる浦安の埋め立て地へ見学に来てもらい、みずからのプランについて相談したという話が出てきた。以下、該当箇所を引用。
両人とも今は亡いが、小林一三は阪急グループの創始者として知られ、宝塚遊園地(宝塚ファミリーランド――引用者注)を開業するなど遊園地事業の先駆者である。馬淵威雄は当時、東宝映画の社長で日本におけるディズニー映画の配給元だった。とりわけ、「東宝にはいろいろ協力を頂いた」と川崎は語る。馬淵は江戸(英雄=オリエンタルランド設立にあたり京成などとともに出資した三井不動産の社長――引用者注)とも親しい間柄にあったが、もはや日本でのディズニーランドの実現は川崎自身のロマンに近い情熱と化していた。
最初にこのくだりを読んだときには、へぇー、そんなことがあったのかと思ったのだが、よくよく考えてみると、小林一三は果たしてオリエンタルランド設立の時期まで生きていただろうか?
というわけで調べてみると、小林の没年は1957年。それに対してオリエンタルランドの設立は1960年と3年もあとだった。ついでにいえば、そもそも川崎がディズニーランドの日本誘致に乗り出すきっかけは本場カリフォルニアのディズニーランドに赴いたことにあったというが、それは1958年のことで、やはり小林の存命中には間に合っていない。
では、川崎が相談したのは誰だったのだろうか。どうも、小林一三の三男で阪急電鉄社長を務めた小林米三だったのではないかという気がするのだが。米三の社長在任期間は1959年から69年までというからつじつまもあう。
とはいえ、これが一三ではなく米三だったとなると、失礼ながら物語としてはスケールが小さくなってしまう。ここは嘘でもいいから、小林一三ということにしておいてもらいたい。同じ私鉄経営者という立場にあって、遊園地を日本の大衆に定着させた小林と、そんな従来の遊園地のあり方を根本から一変させてしまうことになるTDLの青写真を描いた川崎と、浦安の地で両者がバトンを直接受け渡ししていたとすれば、日本の私鉄と遊園地の歴史においてこれほど象徴的なシーンはないだろうから。
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