文化勲章について他愛もない感想

 文化の日のきょう、文化勲章親授式が行なわれた。すでに先週には授章者の発表があったが、有馬朗人安藤忠雄鈴木章蜷川幸雄根岸英一三宅一生・脇田晴子と*1、一応みんな知っている名前だったのがうれしい(とはいったものの鈴木・根岸の両氏の名前は、ノーベル化学賞決定時に初めて知ったんだけど)。
 上記のうち有馬朗人は、原子物理学・学術振興での功績による授章ということは、俳人として選ばれたというわけではないのだな。小渕内閣では文相を務めた有馬だが、在任中、小学校を視察したとき「みなさん、勉強は好き?」と尋ねたところ、児童たちから「きらーい」と返されていたのを思い出した(笑)。
 ちなみに文化勲章といえば、グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、写真といった分野からはたしかまだ授章者が出ていない。服飾デザインからは森英恵、今回の三宅一生とすでに2人も受賞者が出ているのだから、ほかのデザインの分野からもそろそろ出てもいいような気がするが(グラフィックデザイン亀倉雄策、写真は木村伊兵衛土門拳あたりに授章しそびれたがために、なかなか出せないというのもあるのかもしれない)。インダストリアルデザイナーとして初の受章は、8年前に文化功労者に選ばれた柳宗理あたりに期待といったところだろうか。
 あと、ふと思い出したのだが、数学者でフィールズ賞受賞者の森重文が、同賞受賞とあわせて文化功労者に選ばれてから20年も経つというのに文化勲章を受章していないのは、本人が辞退しているのだろうか。森以前の日本人フィールズ賞受賞者である小平邦彦広中平祐が、その受賞から数年後には文化勲章が授与されていることを思えば、20年とはいささかあいだが空きすぎという気がする。
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 それにしても、今年はじつに7人と、文化勲章の授章者は近年になって増加している印象を受ける。おそらくこれまでもっとも多かったのは、一昨年の8人のはずである。たしかそれについても当ブログに書いていたんじゃなかったっけ……と思ったら、ブログではなく、プライベートでつけている日記にメモが残っていた(日付は2008年10月28日)。せっかくなので以下に蔵出ししてみることにする。
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 今年度(2008年)の文化勲章発表。ノーベル賞に選ばれた益川敏英小林誠下村脩をはじめ、伊藤清小澤征爾田辺聖子ドナルド・キーン古橋廣之進と今年の受章者は8人と数も多い上、非常に「わかりやすい」人選。ポピュリズム路線というべきか。たしかに、海洋生物学(下村)、スポーツ競技者(古橋)から初の受章者が出たというのも、マスコミ受けするだろう*2
 いや、米国在住の下村と米国人のキーン、それから「ウォール街でもっとも有名な日本人」と呼ばれた伊藤、「世界のオザワ」、敗戦直後に世界記録を連発してノーベル賞湯川秀樹とともに日本人に勇気を与えたといわれる古橋と、日本人の欧米(このばあいとくにアメリカ)に対する優越感と劣等感が入り混じった面々、といった印象も受ける。
 それにしても、海洋生物学から今回ようやく初めて受章者が出たとは、昭和天皇今上天皇と歴代の天皇が海洋生物の研究を行なっている(あと、海洋生物ではないが、秋篠宮ナマズの研究で知られる)ことを考えると意外な気もした。
 ドナルド・キーンアメリカ人としては、アポロ11号の宇宙飛行士の3人以来の授章かと思ったら、南部陽一郎(1978年に叙勲。1970年にアメリカ国籍を取得)もそうだった。毎日新聞の記事(2008年10月28日付)の「出生地と国籍が外国で、文化功労者にも選ばれ、さらに文化勲章を受章するのはキーン氏が初めて」という説明はいかにも苦しい。
 京大名誉教授の伊藤清は、確率微分方程式の基本公式を創始した数学者*3。ちなみに、この確率微分方程式を基礎に価格方程式というものが考え出され、金融工学に大変な影響を与えたのだそうな(価格方程式を発案、証明したマイロン・ショールズロバート・マートンは1997年にノーベル経済学賞に選ばれた)。伊藤はこのことから、「ウォール街でもっとも有名な日本人」とも呼ばれ、一昨年(2006年)には数学応用に関して貢献のあった人物を対象にした第1回ガウス賞を受賞している。そんな人物が、アメリカに端を発する世界的な株価暴落のただなかに文化勲章に選ばれるとは何だか意味深である。経済危機に対する日本政府のアピールもこめられているのだろうか?

*1:そういえば、1980年代末に小学館から刊行された『大系 日本の歴史』でも脇田晴子は一冊書いてたよなーと思って、実家の本棚からその第7巻「戦国大名」を引っ張り出してきた。

*2:古橋廣之進文化勲章決定時には、古橋の母校・日本大学会館(市ヶ谷)に受章を祝う垂れ幕がかかっていたっけ。

*3:伊藤清は11月3日の親授式を欠席、この年の12月に死去している。