2021年の東京オリンピック 直前、『毎日新聞 』経済面のよこたしぎの一コマ漫画「経世済民 術」(2021年6月5日付朝刊掲載分)が、ちょっとした“炎上”になった。
折しもコロナ禍の最中であり、日本国内では、国際オリンピック委員会 (IOC )は巨額の放映権料などを得るため五輪を強行しようとしているなどといった批判も強かった。IOC のバッハ会長が「ぼったくり男爵」などと呼ばれたのもこの頃である。よこたは漫画のなかでIOC の首脳らを、同時期に亡くなった絵本作家エリック・カール の代表作『はらぺこあおむし 』になぞらえ、利権をむさぼる青虫の姿で描いてみせたのだった。
よこたしぎ「経世済民 術」(『毎日新聞 』2021年6月5日付朝刊掲載分。原画はカラー) しかし、これに『はらぺこあおむし 』の版元である偕成社 の社長・今村正樹が同社ホームページ上で批判した(「風刺漫画のあり方について 」、2021年6月7日配信)。
そこで今村は、《風刺の意図は明らかで、その意見については表現の自由 の点から異議を申し立てる筋合いではありませんが》 と断りながらも、例の漫画には強い違和感を覚えざるをえなかったとして、《『はらぺこあおむし 』の楽しさは、あおむし のどこまでも健康的な食欲と、それに共感する子どもたち自身の「食べたい、成長したい」という欲求にあると思っています。金銭的な利権への欲望を風刺するにはまったく不適当と言わざるを得ません》 、《風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつのだと思います。今回の風刺漫画は作者と紙面に載せた編集者双方の不勉強、センスの無さを露呈したものでした》 と厳しく指摘した。
おそらく、版元の社長が声を上げなければ、くだんの漫画はとくに注目されることもないまま忘れ去られていったはずである。しかし、批判が掲載されるやSNS などで反響を呼ぶ。『毎日新聞 』にもさまざまな意見が寄せられたといい、2週間後の同紙面では一連の批判に対する回答が掲載された。そこでは《今回の作品は肥大化するIOC を皮肉る風刺画で、絵本や作者をおとしめる意図はありませんでしたが、絵本作りに携わった方々や絵本の読者の皆さんを不快にさせたとすれば本意ではありません。皆さんからいただいたさまざまなご意見を真摯に受け止め、今後も洗練された風刺画をお届けできるよう紙面作りに努めてまいります》 と釈明されていた(『毎日新聞 』2021年6月19日付朝刊)。風刺漫画の趣旨を文章で説明しているのが何とも野暮だが、まあ意図を伝えるためには致し方ないし、新聞社としては妥当な対処であったとは思う。ただ、作者のよこた自身のコメントがなかったのが気になるが。
今村正樹が引用された作品の版元として批判の声を上げたことは、風刺画のあり方について改めて議論を促すうえで大いに意義があったと思う。ただ、「風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつもの」という考えには、それは一面では事実なのかもしれないが、どうも私としては全面的には受け入れがたい。たとえ作品の意味を完全に理解せずとも、結果的に見事な風刺になっている漫画は往々にしてあるような気がするし、反対に、本質をつかんだうえで絵にしても、どうも説明的になって風刺としては失敗ということもあるだろうからだ。
仮に私が、くだんの『はらぺこあおむし 』の漫画を元の絵本の内容を踏まえたうえで直すとするなら、腹いっぱい食べたあおむし がさなぎになって羽化してみれば、絵本ではきれいな蝶になるはずが、欲にまみれのバッハ会長の顔をした蝶が現れる……というようなものになるだろうか。やはりどうも説明的で、出来の悪いパロディにしかならない。
私が冒頭にあげた、よこたしぎの漫画をめぐる反応で気になったのは、版元社長の批判以上に、その尻馬に乗ったかのようなSNS などでのコメントだった。なかには「偲んで描く内容ではけっしてない」というのもあったらしいが、きっと、こういう人は日頃風刺画というものにほとんど接してこなかったのだろう。
それにしても、よこたしぎの漫画をめぐる騒ぎを見ると、『週刊朝日 』で45年にわたり連載された山藤章二 の一コマ漫画「山藤章二 のブラック=アングル」はうまくやっていたとつくづく思う。たとえば、連載が始まった1976年、小説家の武者小路実篤 が亡くなったときには、この年発覚したロッキード疑獄 にからめて、疑惑の焦点となっていた田中角栄 ・小佐野賢治 ・児玉誉士夫 の顔を、生前の実篤が色紙に好んで描いた野菜になぞらえて描き、そこに「仲良き事は美しき哉」の文句を添えた。小佐野が国会での証人喚問で田中角栄 との関係を問われ「刎頸の友」と答えたことに対する風刺である。
山藤が周到なのは、そこに自らの分身であるブラック氏(サングラスをかけた髭面の男)を「贋作先生」と称し、「真理先生」たる実篤に怒られている姿を描き込んだことである。「真理先生」とはもちろん、実篤の代表作の題名からとられている。あらかじめこれは「贋作」だと断り、さらに作者に怒られる作者の分身を描くことで批判をかわしたともいえる。面白いのは、それでありながら、この漫画は実篤の楽天 的な人生観のうさんくささをからかっているようにも解釈できることだ。山藤はまさに実篤の作品の本質を突いたのである。
「山藤章二 のブラック=アングル」(『週刊朝日 』1976年4月30日号掲載分、『山藤章二 のブラック=アングル』朝日新聞社 、1978年所収。原画はカラー) 同じことは編集者・コラムニストの天野祐吉 も指摘しており、山藤との対談で直接褒めている。だが、本人に言わせると、《ぼくとしては、そこまで考えていたわけじゃないんですが(笑)、そういうことはままありますね。深読みしてくれる人がいる。あいつの描くものだから、何か隠し味があるに違いない、なんて思ってくれる人がいるんです》 ということらしい(天野祐吉 『広告の本』筑摩書房 、1983年)。山藤の発言を額面どおりに受け取るなら、まさに先に私が書いた「たとえ作品の意味を完全に理解せずとも、結果的に風刺になっている」好例といえる。
もっとも、山藤が意図せずして対象の本質を突くことができたのは、その画力に拠るところが大きい。武者小路実篤 の色紙のパロディも、実物の描写そっくりだからこそ説得力を持ち、読者に思わず深読みさせてしまったのだろう。よこたしぎも、エリック・カール の原色のけばけばしいタッチを忠実に模写して同じ漫画を描いていたのなら、あれほど批判されることもなかったかもしれない。
ここで思い出したのだが、山藤章二 は自分の作品が発端となって、ネット炎上どころではない、もっと大きな事件を経験していたのだった。それは1992年に発表された「ブラック=アングル」の一作で、ちょうどそのころ参院選 で比例区 に10名の候補を立てた政治団体 「風の会 」を題材としたものである。そこでは、選挙事務所の看板の注文を受けたブラック氏が、党名を誤って「虱(しらみ)の会」と書いてしまい、党関係者らしきヤクザ風の男たちに「コラッ なめとんのか! わしら、アレか!!」などと責められる様子が描かれていた。画面の端には、「これはフィクションで、実在の党名とはカンケイありません」と一応断りが入れられていたとはいえ、選挙期間の最中ということもあり、『週刊朝日 』7月24日号に掲載されるや、党代表で新右翼 の運動家である野村秋介 が掲載誌の版元である朝日新聞社 に抗議を行った。
山藤の作品としてはけっして出来がいいとは言いがたい。苦しまぎれという気さえする。「風の会 」が参院選 で擁立した候補者には漫才師の横山やすし もいたのだから、先に参院 議員となっていた相方の西川きよし とそろって当選した場合の漫才予想など、得意とする調理法を選んだほうがよっぽど面白いものができたのではないか。
だいたい、野村秋介 のこれまでの活動をそれなりに知っていさえすれば、ヤクザ風の男たちが因縁をつけてくるなんて絵にはならなかったはずである。野村はそうした暴力団 まがいの旧来の右翼に一貫して批判的な立場をとり、自らの活動とは一線を画してきたからだ。少なくともこの作品に限っていえば、先に引用した今村正樹の「風刺は引用する作品全体(この場合は人物)の意味を理解したうえでこそ力をもつもの」との指摘がそっくり当てはまる。
野村は朝日に抗議を行った直後、山藤にも手紙を送ると、すぐに詫びる内容の返事が届き、「私個人としては、貴殿の心情、諒としました」(野村から山藤宛ての返信)と受け入れたという。朝日側も《このブラック・アングルは選挙期間中の公的な政党団体に対する表現としてはパロディーの範囲を超えている。公選法 から見ても問題があると認識し、誠意をもって対応することに》 し(『週刊朝日 』1993年11月5日号)、野村の求めた面談にも朝日新聞 出版局長ら幹部が応じ、翌1993年に入っても、歴史観 や国家観など同社の報道姿勢全般について議論が重ねられた(そのやりとりは野村の遺著『さらば群青――回想は逆光の中にあり』〈二十一世紀書院、1993年〉で活字化されている)。
同年10月20日 には、「風の会 」のメンバーや言論人らによるシンポジウムの席上で出版局長の橘弘道が陳謝をし、野村はその開会前に朝日新聞 東京本社で社長の中江利忠との面談にのぞんだ 。朝日本社での話し合いはなごやかな雰囲気で進んだという。だが、朝日側が一区切りつけようとしたところで、野村は持参した拳銃を取り出したかと思うと、自ら命を絶つにいたる。山藤のショックはそうとうなものだったのだろう、事件の翌週発売の『週刊朝日 』の「ブラック=アングル」は休載となった。
ひょっとすると、野村秋介 の事件を、2015年に起きた、フランスの風刺週刊新聞『シャルリー・エブド 』の本社がイスラム 過激派に襲撃され、同紙の編集長で風刺漫画家のシャルボニエら一二名が殺害された事件と重ね合わせる向きもあるかもしれない。たしかに風刺画への抗議ということでは同じだが、そこでとられた方法はもちろん、また矛先を向けられた側の姿勢など、細かく見ていくと両事件はまるで性質の異なる出来事といったほうがいい。