20年後のぼくらは胸を痛めて「いとしのエリー」を聴いただろうか?

本日未明に録画した『ふぞろいの林檎たち』最終回の再放送を見る。
前回(先々週の放映だったか)のラストで、いきなりヘルメット姿の「過激派」が中井貴一の自宅の酒屋にあらわれたので*1、どんな展開になるかと思えば、本筋とはそんなに関係ない扱い。彼らの注文で集会場所へ、中井が友人の時任三郎らとともにビールのケースを運んでいくのだが、そこで女性リーダーから「あなたたち、この社会に対して不満はないの?」なんてことを問い詰められるものの、それを男のリーダーが「やめろよ、この人たちは関係ないだろう」と制止し、そのまま帰される――というシーンが冒頭にチラッとあるだけだった。
しかしこのドラマが制作されたのは1983年。連合赤軍事件からも10年以上が経ち、とっくに政治の時代は終わっていた。ゆえにこのシーンは唐突な印象を受ける。一体、山田太一はどういう意図で最終回にこのようなシーンを持ってきたのだろう?
そんなシーンが出てくることも含めて、ぼくはこのドラマに「70年代の終わり」といったものを感じる。もちろん実際の年代からいえば、このドラマは80年代の作品なのだが、おそらく70年代的な空気みたいなものは、まだこのドラマが放映されたころにはあちこちに漂っていたのではないか。なによりこのドラマに出てくる学生の部屋があきらかに「70年代」してる。これが「80年代」のドラマであれば、学生でも風呂つきの少しこじゃれたワンルームマンションぐらいには住んでいるはずだ。よく考えてみたら、ドラマで描かれる学生にかぎらず独身男性の部屋というのは戦前からバブル期以前までそんなに変化してはいないのではないか。これは逆にいえば、バブル期の以前と以後で変化がいかに大きかったかということだろう(いまにして思えば、若いとはいえ三十路間近の坂本金八が雑貨屋の二階に下宿していたというのも隔世の感がある)。その意味では、テレビドラマの「80年代」は、80年代後半のバブル期になってようやく始まるのだ(といってもそれもバブル崩壊後の90年代初頭における野島伸司ドラマの台頭によってあっけなく終わってしまったように思う。ドラマの80年代とはようするに「トレンディドラマの時代」なのだ)。
そのほかにも、『ふぞろいの林檎たち』の主題歌が放映の時点での新曲ではなく、それよりも少し前の70年代末にヒットした「いとしのエリー」だということや*2天井桟敷高橋ひとみをはじめ、状況劇場小林薫、つかこうへい事務所の根岸季枝と、60年代末から70年代の小劇場演劇を代表する劇団出身の俳優が出演しているということも(80年代を代表する夢の遊眠社第三舞台といった劇団出身の俳優がテレビドラマに出演しはじめるのは早くてもバブル期以後だろう)、考えるだにますます「70年代の終わり」を感じさせる。
そういえば83年といえば、山田太一とは早大教育学部の同級生の寺山修司が亡くなった年であり*3高橋ひとみは寺山が自分に託した最後の教え子なのだと、山田太一があるインタビューで語っていたのを読んだことがある。だとすれば、山田が寺山の死に70年代、あるいはもっと広く戦後という時代の終焉を感じて、それをこのドラマに反映させたと考えてもおかしくはないだろう。
ま、結局、日本の70年代というのは、円高を加速させたプラザ合意の前年、84年ぐらいまでは続いていたのではないかと思うのですよ。同様に80年代は85年から94年まで、90年代は阪神大震災オウム事件の95年に始まって、来年2004年ぐらいにようやく終わると考えたほうが、ぼくとしては気分的にしっくり来るんですが。
そんなわけで、来年あたり90年代にとどめを刺すような仕事がしたいと、ひそかにたくらんでいる次第です。

*1:それにしても、いくらなんでも、過激派の若者がヘルメット姿で白昼堂々酒屋にやって来るなんてことないだろ。「お宅は口が固いと聞いてやって来ました」と言うんだったらなおさらだ。

*2:この10年後、小沢健二は「10年前の僕らは胸を痛めて『いとしのエリー』なんて聴いてた」と歌うことになるが、彼もやはりこのドラマを見ていたのだろうか?

*3:同学部出身者としてはほかにも、森田必勝、山本直樹、それから広末涼子などがいて、早稲田の中でもとりたててバラエティに富んでいる