カノッサの屈折

と、以上がこのブームに対するぼくの表向きの苛立ちである。
が、実はそれとは別に「本音」としての苛立ちもあったりする。
それは、80年代については自分も高校時代以来ここ10年興味があったし、折に触れて自分の編集するミニコミ誌WEB上の日記でもあれこれ言及してきたつもりなのに、最近の「80年代ブーム」とやらにはとんと無縁なのはなんでだろう? といった苛立ちだ。
もっとストレートに言うなら、雑誌の80年代特集を組む際、なぜおれに原稿依頼が来ないのかと。
特に『別冊宝島』に関しては、今年はじめにくだんのミニコミ誌(この中でぼくはピンク・レディーとYMOとを絡めて80年代を眺めた文章を発表している)を同誌編集部に送っていただけに、ひそかに期待していたのに、結局声をかけられずじまいのまま今回のYMO特集が出てしまい、正直、非常に落胆した。
もちろん、こんなのはぼくの勝手な言い分だし、表立って言うのは非常にみっともないことだというのも重々承知している。
しかしこうした苛立ちを抱くということが、何だかぼく自身の世代的な、というより、おそらくはしごく個人的な屈折を端的に示しているように思ったので、あえて書いておく。
ぼくの屈折というのはつまり、直接体験したならいざ知らず、10年遅れで間接的に知った「80年代」(より正確にいえば「80年代のカルチャーシーン」)に興味を抱きなぜかこだわり続けている――ということだが、実はぼくの場合、この手の屈折の対象は、80年代に限ったことではない。たとえばここ最近の(おそらく岡本太郎の没後以来の)大阪万博の再評価とちょっとしたブームに対しても、「80年代ブーム」と同様の苛立ちを感じていたりもする。というのは、ぼくにとって大阪万博は小学3年の時以来関心と憧憬の対象であったからだ。しかし、これにしたって自分は直接体験したわけではなく(だいたい大阪万博開催の1970年にはぼくは生まれてさえもいなかった)、小3の時に行ったつくばの科学万博に興味を抱き、その延長線上であれこれ調べていくうちにたどり着いたというだけにすぎない。
いや、むしろ直接的な体験ではなく、間接的・擬似的な体験だからこそ、対象により大きな幻想を抱き、拘泥することになったというのはあるかもしれない。
ただ、ぼくは、80年代にしろ大阪万博にしろ、それらに対しある種の幻想を抱きこそすれ、少なくとも単なる懐古趣味でこだわっているわけではない。自分としては、そこに常に「現在」を見てきたつもりだからだ。ゆえに、間違ってもぼくは「80年代に帰りたい」とは思わない。
考えてみると自分は、あくまでも「現在」という位置から、ある時代なり過去の事象を眺めることにこそこだわっているのかもしれない。これというのもやはり、昭和末期以来のレトロブームの影響があると思うのだが、くわしく説明してるとやっぱり長くなりそうなので別の機会に改める。