きょうの買物

たけもとのぶひろ『滝田修解体』(世界文化社)、米田雅子『田中角栄と国土建設』(中央公論新社)、佐藤寛子写真集『Lover's Eye』(小学館)、『新潮』6月号・創刊100周年記念特大号(新潮社)
ネット古書店から取り寄せた『滝田修解体』以外は、球場へ向かう前に新宿の紀伊國屋書店にて購入。
紀伊國屋で買ったのはみんなここ最近ずっと探していたもの。
先月1日にアテネ・フランセで観た映画、『圧殺の森』と『パルチザン前史』の感想をこの日記で書きそびれてしまったが、『パルチザン前史』については結局今度出すミニコミ誌『ZAMDA』で書くことにする(『圧殺の森』については友人に原稿を頼み、先日送られてきた)。『滝田修解体』はそのための資料として入手。ちなみに滝田修とは、60年代末に京大紛争の最中に新左翼のイデオローグとして注目を集めた同大の助手だった人物で、71年に朝霞基地での自衛官殺害事件で思想的に関与したとして指名手配され、10年あまりの逃亡生活を経て逮捕されている(ここらへん、アントニオ・ネグリにどこか似ている)。『滝田修解体』はその出獄後の89年に刊行されたもので、その名も本名のたけもとのぶひろ(竹本信弘)と改め、かつての自らの思想を徹底的に総括、否定したものである。たしか指名手配されたことで彼の処分をめぐり京大内では一騒動が起きたということを、ちょうどその真っ只中に入学した浅田彰が冷ややかに語っているのを何かのインタビューで読んだことがある。滝田修は経済学部の助手だったが、同じ学部から、やがて新世代の旗手としてもてはやされることになる浅田彰が入れ替わるようにして出てきたのは興味深い。
【追記:以上の記述について、浅田彰氏本人から指摘をいただいた。くわしくはid:d-sakamata:20040607を参照】
田中角栄と国土建設』は、はてなで「日本列島改造論」というキーワードをつくっておきながら、豚の戦争の猪川さんが紹介しているのを読むまでそんな本が出ているとはまったく知らなかった。わりと専門的な本かと思いきや、書いているのはNPOの主宰者で、「ですます調」で書かれたどっちかというと入門書的ともいえる本だ。これぐらい平易な文章であれば中学生ぐらいでも十分読み通すことができると思う。角栄関連本はかなりの数出ているが、この本は昨年11月に出されたものにもかかわらずなかなか見つからなかった。どうせ中央公論から出すのなら、新書で出したほうがもっと売れたのではないか。
話は逸れるが、日本で田中角栄の死後、その研究本が相次いで刊行されたのと同じように、アメリカではニクソンの研究本がその死後にかなり出されたという。同じころにスキャンダルによって政権の座を追われたことをはじめ、中国への接近など両者の共通点は多いが――しかも亡くなったのもほぼ同時期(角栄は93年12月没、ニクソンは94年4月没)だ――、死後の再評価に関しても類似を見せている。日本でも中公新書から田久保忠衛の『戦略家ニクソン』という本が出ているが(上記のような米でのニクソン再評価についてもぼくは同書で知った)、その大統領在任中における米中接近に関しては、どちらかというと国務長官だったキッシンジャーの貢献を大とする一般的な見方に対して、実はこの戦略はニクソンが大統領以前からずっとひそかに考えてきたことなのだという説を提示していてなかなか面白かった。要約すれば、ソ連と中国の関係が悪化していることに目をつけたニクソンは、あえてアメリカが中国に接近することによりソ連への囲い込みを図ろうとしたのだという。
さて、ニクソンの頭越しに中国との接近を図られた当時の日本の首相は佐藤栄作だが、続いては奇しくも佐藤栄作夫人*1と同じ名を持つ佐藤寛子の写真集について(うわ、とんでもなく強引な持って行き方!)。これも先述の猪川さんが紹介しているのを見て買おうと思ったのだった。佐藤寛子といえば、最近テレビ朝日深夜の『完売劇場』という短い番組で(たぶん関東ローカルだと思う)、劇団ひとり扮する「口楽家・東儀ひとり」と共演しているコントが面白い。寛子タソは、様々な音を口で表現する「口楽」を東儀ひとりから教授される生徒の役(浴衣姿ですぜ!)なのだが、当初はせいぜい和太鼓の音を真似るぐらいだったのが、最近ではウォークマンで音が漏れているのを指摘されて、「あん?」とヤンキー風にガンを垂れるといった非常に細かいネタを演ってみせたりと、毎回奮闘を見せていて萌える。

*1:こっちの佐藤寛子さんはミニスカートを履いたり、首相公邸の屋根に魚を干したりして物議をかもした人だった。歴代首相夫人の中でもひときわ目立つ存在だろう。