国内独立国家考/あるいはカウンターとしての半島

千葉国独立から一ヶ月…緊急現地ルポ(霞が関官僚日記

年頭に毎日新聞に掲載された「初夢」からさらに発想を膨らませて、現役官僚のid:kanryo氏が書いた、近未来SF&ポリティカルフィクション風の「現地ルポ」。これ、船橋出身の西島大介氏あたりがマンガ化したら面白いかもしれない。
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日本からある地域が独立してしまうという物語には、有名なところだと井上ひさしの小説『吉里吉里人』(1981年)があるし、ややマニアックなところでは、大友克洋のマンガ「信長戦記」(1978年)や首藤剛志のノベルス『都立高校独立国』(1989年)*1などといった作品もあげられ、昔から数多い。
このうち大友克洋の短編「信長戦記」(作品集『GOOD WEATHER』綺譚社、1981年に収録)は、静岡県内の国有地を含む広大な土地に突如として城が築かれ、その城主で織田信長を名乗る謎の人物から、政府宛てに静岡県を明け渡し独立国として治外法権を認めるよう伝えられてくる場面より始まる。さらに同県下では騎馬武者たちにより自衛隊駐屯地や発電所などが襲撃され混乱は拡大。だが実はこの信長という男の正体は、ほかならぬ日本国の首相であり、静岡県の独立計画も、政府が日本に自給自足の体制を復活させるためモデルケースとして企てられたものだったことがラストで判明する*2
フィクションではなく現実世界に目を移すと、80年代には『吉里吉里人』に誘発されて日本各地で地元のPRをもくろんだ「ミニ独立国」の建国が相次いだし(参照)、さらにさかのぼれば、終戦直後の食糧難の時期には「司王国」という擬似国家が存在した。米どころである山形県庄内平野のほぼ全域を「領土」とするこの王国は、警察の取締まりに対抗して東京に住む人々を飢餓から救うという「国是」を掲げ(何せ当時は戦時中より徹底した食糧統制が続いており、配給以外のルートで流通するヤミ米は官憲によって厳しく取締まられていた)、三島の鉄道教習所に通っていた「皇帝」(庄内は「皇帝」の父親の郷里だった)ら28人の若者たちにより建国された。彼らの活動は具体的には、組織力を駆使して庄内から米を東京まで列車で送り届けるというもので、符牒としてアルファベットを絵文字化した「ツカサ文字」を考案したり、一万円を一ポンド、一円を一ペソなどといった具合に特殊な金銭の単位を用いたり、さらには元号や西暦を否定し、原爆が投下された1945年を紀元とする「原子暦」を制定するなど(この暦では1945年は「原子元年」と定められ、それ以前はB・A、以後はA・AX年と称された)実に遊び心に満ちていた。この「司王国」については、ルポライター児玉隆也が1974年に『諸君!』に発表したルポ(のち児玉の死後に新潮社から出された『この三十年の日本人』に収録された)にくわしいが*3、ひょっとしたら、このころすでに『吉里吉里人』にとりかかっていた井上ひさしに少なからず影響を与えているかもしれない*4。そういえば井上ひさしの出身地もまた山形県だった。
余談ながら、以前山形出身の知人がぼくに、山形には天才肌で物事を一つのことに突き詰めてバカになってしまうような人物が多いという話をしてくれたことがある。たしかに『吉里吉里人』の舞台「吉里吉里国」*5よろしく20世紀の中国大陸に忽然と姿を現わした「満州国」の立役者である石原莞爾しかり*6、幕末の志士で倒幕派とも佐幕派ともつかない奇妙な行動を続けた清河八郎しかり、昭和期のアジア主義国家主義者で日本で初めて『コーラン』の全訳を完成させた大川周明もまたしかり、山形県出身者にはなぜか壮大な妄想を原動力として活躍する人物が多い。この系譜に、自身は山形生まれではないものの、父親の斎藤茂吉が山形出身で、自宅に「マブゼ共和国」を建国した北杜夫をつらねてもいいだろう。さらに最近で言えば、阿部和重あたりもこの系譜につらねられるような気がする。
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ふたたび「千葉県独立」の話に戻る。これを読んで、以前友人のN氏(彼は幼少時の一時期、木更津に住んでいたことがある)が、浜田幸一の蜂起によって千葉県が南北に分裂するというシミュレーション小説を書こうとしていたのを思い出した。友人が注目したのは――というか、たしかぼくが彼にそう入れ知恵したような気がするのだが――千葉県の大半は半島で構成されているという点だった。元はといえばこれは、かつて四方田犬彦赤瀬川原平が紹介していた、大本教の教祖・出口王仁三郎のトンデモ地図がヒントになっている*7。それは北海道・本州・四国・九州をそれぞれ北米・ユーラシア・豪州・アフリカの世界4大陸になぞらえるというもので(ちなみに王仁三郎は当時日本領だった台湾を南米大陸になぞらえている)、この地図において千葉県の房総半島はまさに朝鮮半島と対応していた。そこで安易にも房総半島を南北に分断するという発想が出てきた、というわけである。うう、本当に安易だな……。
だが半島というのは、多分にそういった類いの想像力を喚起させる場所ではあると思う。たとえば中上健次は自らの故郷である紀伊半島をルポした『紀州 木の国・根の国物語』(朝日文芸文庫、ISBN:4022640278)の冒頭で、次のように書いている。

紀伊半島紀州を旅しながら、半島の意味を考えた。朝鮮、アジア、スペイン、何やら共通するものがある。アフリカ、ラテンアメリカしかり。それを半島的状況と言ってみる。大陸の下股、陸地や平地の恥部のようにある、、。半島を恥部、いや征服する事の出来ぬ自然、性のメタファとしてとらえてみた。いや、紀伊半島を旅しながら、半島が性のメタファではなく性という現実、事実である、と思った。

朝鮮半島もそうだし、バルカン半島インドシナ半島アラビア半島など、半島はいつでも世界史の火種だった。日本においても、源頼朝が20年間の人質生活ののち平家に対して挙兵した伊豆半島や、南北朝時代南朝方が拠点とした吉野を擁する紀伊半島といい、キリシタン幕府軍が壮絶な戦いを繰り広げた島原半島や、徳川時代には常に幕府と対抗する立場であった薩摩藩が主として薩摩・大隅の二大半島で成り立っているという事実といい、やはり半島は歴史上重要な鍵を握ってきた*8。それも時の政権なり体制なりに対するカウンターとして。
そう考えてゆくと、その半島的性格ゆえに千葉県が東京や日本政府に対して反旗をひるがえすのではないか、と想像力を働かせるのは何もおかしなことではない。むしろ千葉はいつだってそんな可能性を秘めているのではないかとすらぼくは思うのだ。
東京の傀儡としての千葉が反旗をひるがえし、房総半島が「暴走」半島となる日。こうなったらやはりハマコーの蜂起しかないような気もする。
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と、こんな戯言ばかりを書き流して、「サブカルチャー風土記」とかそんなタイトルで本を出したら面白いのではないかと、ふと思った。

*1:この作品については、ここここを参照。

*2:何もかも最初から仕組まれたものだったとオチがつくところなど、この数年後に大友が矢作俊彦と合作することになる近未来ポリティカルアクション『気分はもう戦争』を彷彿させないこともない。その意味でも大友の初期短編の中では結構重要な作品だと思うのだが、いかんせんセリフに「き●がい」という言葉が頻出するため現在では復刻は難しそう。

*3:児玉はこのルポと前後して『文藝春秋』74年11月号に「淋しき越山会の女王」を発表、並んで掲載された立花隆の「田中角栄研究」とともに時の総理・田中角栄を辞任に追い込むきっかけをつくるも、翌年癌により38歳の若さで早世した。

*4:吉里吉里人』は当初、1973年に創刊された筑摩書房の雑誌『終末から』に連載されたものの、同誌の廃刊で中断。81年にようやく書き下ろし作品として新潮社から単行本が上梓された。ついでにいえば『終末から』には、全国月光仮面共闘(全月共)という高校生などによる集団が蜂起し、権力中枢を制圧して臨時革命政府「月光仮面社会主義共和国」を樹立するという革命シミュレーション小説「月光仮面社会主義共和国建国秘録」も単発で掲載されている(書いたのは黒井考人という高校生だとされる)。

*5:ただし『吉里吉里人』の作品の舞台となるのは山形ではなく岩手県である。

*6:満州国」と井上ひさしの関連でいえば、武田徹は「満州国」を、やはり井上の作品である(山元護久との共作だが)テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』と重ね合わせていたりする(『偽満州国論』河出書房新社ISBN:4309222846)。

*7:出口王仁三郎の地図については、それをめぐる四方田と赤瀬川の対談が四方田の著書『黄犬本』(扶桑社)に収録されているほか、赤瀬川は自著『優柔不断術』(毎日新聞社ISBN:4620313475)でもとりあげている。

*8:このほか歴史的な観点から半島を眺める場合、白浜や勝浦など紀伊半島と房総半島の地名には同じものが多いことが示すように、半島同士の結びつきというのも見逃せない。