上の話との関連で一つ。歌謡曲において、長いあいだ「西」は異郷として描かれてきたのではないか? と、最近そんなことを考えたことがある。それは特に70年代前半のヒット曲に顕著だ。先述の「京都から博多まで」を筆頭に、チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」(72年)は、チェリッシュの二人が名古屋出身であることを考えるとやはりこの歌は西へ行ってしまった恋人を惜しむ(そして京都の女を恨む)歌だと考えられるし、小林旭の「昔の名前で出ています」(75年)も、京都から神戸へと酒場を西へと転々とする女(その後、彼女は横浜に「戻る」のだが)が歌われている。
それに対して、西とともに歌謡曲に頻出する「北」は望郷の対象である。千昌夫の「北国の春」(77年)あたりがその最右翼ということになるだろうが、朱里エイコの「北国行きで」(72年)でも石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(77年)でも山口百恵の「いい日旅立ち」(78年)でも、主人公は北へ「帰る」のだ。これは、恋に破れても執念から男を追って西=異郷の地へと向かう「京都から博多まで」の主人公とは対照的である。
ちなみに「京都から博多まで」は、山陽新幹線の新大阪・岡山間が開業した72年のヒット曲であり、このキャンペーンで掲げられたのが「ひかりは西へ」というキャッチフレーズだった。このフレーズが採用される際には、国鉄からは新幹線は西だけではなく東にも行くのに、これはおかしいのではないかとの異論も出たという。しかし結果的にこの「ひかりは西へ」のキャンペーンは、70年の大阪万博閉幕直後より展開されていた国鉄の一大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」とともにヒットすることになる。ここでもまた西は異郷としてとらえられたと考えることができるだろう。
よく考えてみると、そもそも新幹線は日中戦争の際に大陸への輸送増進のため東京・下関間に計画されたものである。そう、東京から西へと伸びる新幹線の向かう先には、当初の計画では朝鮮半島や中国大陸があったのだ。一方、歌謡曲の世界においては、山陽新幹線が博多まで開業した75年以降*1、瀬戸内・九州など西日本はすでに異郷の対象ではなくなり、ゴダイゴの「ガンダーラ」(78年)や、庄野真代の「飛んでイスタンブール」(78年)、ジュディ・オングの「魅せられて」(79年。ちなみにこの曲のコンセプトは「ディスカバー・ジャパン」や「ひかりは西へ」と同じく電通の藤岡和賀夫によるものである)など、日本を脱出してさらにその西の先、アジアが異郷として――言い方をかえるなら一種のオリエンタリズムの対象として歌われることになる(その一方でこの時期には、「東京砂漠」「東京物語」「東京ららばい」「東京ワッショイ」「TOKIO」など東京を歌った曲が多数登場した)。戦前の新幹線計画の背景にあった「大亜細亜主義」は敗戦によって幻に終わるわけだが、その忘れ形見である新幹線が実現するにいたって、歌謡曲がアジアに目を向けるというのは何だか意味深だ。ただし、戦前の大亜細亜主義のイニシアチブを握ったが男たちだったのに対して、70年代歌謡曲における「大亜細亜主義」の主人公は女たちだった。70年代歌謡曲の主人公たる「彼女」は、別れた男を追って京都から博多まで来たものの結局恋は成就することはなく、仕方がないので髪を剃ってガンダーラへユートピアを求めて旅に出るも、それでも忘れられない昔の男への思いを断ち切るためにイスタンブールに飛んで、さらに西へ向かいエーゲ海を渡るころには、違う男に抱かれながらも別の男の夢を見るほどにしたたかになっていた――。この物語をわたしは「おんなの大亜細亜主義」、あるいは「うたう大亜細亜主義」と名づけたい。
なお、こうした「うたう大亜細亜主義」に背を向けたソングライターとして井上陽水と松本隆の名前をあげておこう。陽水は奇しくも「ひかりは西へ」のキャンペーンが行なわれた72年に、「東から西へ」でも「西から東へ」でもなく、「東へ西へ」*2と題したシングルをリリースした。同曲では月も電車もカラスも「東へ西へ」とその行き先を決めかねているようだ。一方、松本隆は太田裕美に提供した「木綿のハンカチーフ」(75年)で、《恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で》と告げて東にある都会へと行ってしまった彼氏に対して、その思いを吹っ切ろうとする少女を描いている。いうまでもなくここで異郷の対象になっているのは西ではなく東だ。松本はその後、「さらばシベリア鉄道」(81年)で、アジアではなく当時の共産圏であるソ連を走るシベリア鉄道に乗って旅立ってしまった女と日本にとどまる男の別離を描いている。いわば大亜細亜主義的な歌を手がけるソングライター=右翼に対して、松本隆は最左翼の位置にあったということになるだろう(もちろんこれは実際の共産主義や右翼/左翼運動などとはまったく関係ない)。
*1:ちなみにこの時のキャッチフレーズは「ようきんしゃった、ひかり」。「ひかりは西へ」とは違い、あくまでも九州側の視点に立ったフレーズである。なお、山陽新幹線は博多から辛子明太子とタモリを東京にもたらすことになる。
*2:余談だが作曲家の武満徹は井上陽水との対談の中で、この曲を自民党の党歌にするべきだと発言していた(ちょうど自民党単独政権の末期だったろうか)。自民党の党歌にするのも面白そうだけど、いいかげんJRのCMでもこの曲を採用してほしい。同曲の二番の《電車はきょうもスシヅメのびる線路が拍車をかける/満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う/お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ/身動き出来ずに夢見る旅路へ だから/ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ》という歌詞は逆説的に使えば、案外ウケるのではないか。