つばめは西へ

http://www.jrkyushu.co.jp/shinkansen/histry/index.html
上記URLでは、かつての国鉄の花形列車が、時代の流れとともに西へ西へと流転していったという事実が紹介されている。戦前・戦後と東海道本線の超特急として人気を集め、当時国鉄(実際には国労か)の持っていたプロ野球球団にもその名がとられるなど(そんなことは同球団の親会社が乳酸飲料メーカーに移ったいまとなってはすっかり忘れられてしまったが)栄光の座にあった列車が、東海道新幹線という新たなスターの登場にともない*1、その座を譲り山陽本線へ、それも数年のうちには新幹線の延伸により引退を余儀なくされる。しかしそれから十余年ののち、九州の地で復活を果たす――。これは菅原道真や防人あたりにはじまって、藤圭子の「京都から博多まで」(1972年)がヒットした時代ぐらいまでは脈々と続いていたはずの、西国へと向かう一種の流離譚ではないか。

*1:しかし「つばめ」が東海道本線の超特急として登場したころ、のちに新幹線がその名を襲うことになる「ひかり」と「のぞみ」は、急行列車として朝鮮半島を走っていたのだから奇妙なものである。