首相時代の鈴木善幸の記憶は正直いって全然ない。そのあとの中曽根康弘は、在任期間が長かったこともあってやたら印象が強いのだが(似顔絵もいまだに描けるし)。ただ、今回の死去を報じるニュースを見てて思ったのは、首相時代のこの人の仕事というのは、自分の所属派閥の首領だった大平正芳をそうとう反面教師にしたものだったのだな、ということだ。
たとえば鈴木が目指した「増税なき財政改革」というのは、かつて大平が財政赤字を消費税の導入により解消しようとして、国民の反発を買い総選挙で自民党の大敗北を招いたことへの反省に立ったものだろうし、「和の政治」というのも、福田派など反主流派との抗争でボロボロになり、ついには病に倒れた大平を間近で見ていた鈴木としては、その実現は宿願であったろう。そもそも鈴木善幸という人は社会党の議員だったのだが、党内部の派閥争いに嫌気がさして自民党に移ったという経歴を持つ。そういう人が、党分裂の危機にあった時期に自民党の総裁についたのはけっして偶然ではないように思う。
鈴木善幸といえば、党内での派閥闘争を避けるべく総裁選には出馬せず(再選確実といわれていたのにもかかわらず)、首相を辞任したことについて、引き際がいいと評価する人もいるようだが、果たしてそうだろうか? 辞任の理由には「行政改革の失敗」もあげられたが、その後、中曽根内閣のもと、電電・専売・国鉄の三公社の民営化が実現するなど、彼が着手した改革はそれなりに実を結んでいることを考えると、どうにも不自然だ。欧米でこうしたやめ方をすれば、たぶん自分のやり遂げるべき仕事を投げたと批判されるのがオチのような気がする。