十返舎一九の手紙

「膝栗毛」成功の要因は取材旅行?=十返舎一九、名古屋の文人に手紙−奈良大教授
 江戸時代後期のベストセラー「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九(1765〜1831年)が、登場人物の弥次さんと喜多さんのこっけいなエピソードに取材旅行の成果を生かしていたことを裏付ける手紙を発見したと、永井一彰奈良大教授(国文学)が5日、発表した。一九の手紙が見つかったのは初めてという。
 永井教授は「作品中の多くのエピソードには各地で取材したネタが盛り込まれていると思われ、それがベストセラーになった要因ではないか」と話している。 
 (時事通信) - 12月5日18時1分更新
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061205-00000117-jij-soci

十返舎一九の「年賀状」発見…膝栗毛の舞台裏も
 江戸時代のベストセラー「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」を著した戯作者の十返舎一九(じっぺんしゃ・いっく)(1765〜1831)が1806年(文化3年)、尾張・名古屋にいた医者で文人の神谷剛甫(ごうほ)とその仲間にあてた“年賀状”が見つかり、調査した永井一彰・奈良大教授(近世国文学)が5日、発表した。
 作品が完成するまでの裏話に富み、永井教授は「膝栗毛の創作過程がうかがえる貴重な資料」としている。
 「当春のひざくり、御地の御(ご)通人方へ御(お)付き合い申し候(そうろう)故に出来仕(しゅったいつかまつ)り(春に出版予定の『膝栗毛』、名古屋の通人の皆様とお付き合いさせて頂いたお陰で完成しました)……」
 謝意がつづられた手紙は1月2日付。縦14・5センチ、横65センチ。4年前に京都の古美術店で発見され、永井教授が解読を進めていた。太く大きい文字で年賀のあいさつが書かれているほか、追伸にあたる「尚々書」の中で、「膝栗毛」の完成報告と作中に剛甫らの名で歌を作ったことを記している。
 主人公の弥次郎兵衛・喜多八が、三重・桑名の名物「焼きはまぐり」を味わう場面の挿絵に、剛甫の号である「椒芽亭(このめてい)田楽」の狂歌が記されているが、これは一九の代作と判明。弥次・喜多が三重・雲出で「こんにゃくのたたき石」のもてなしを受けたが、石を食べたふりをして失敗する場面は、剛甫らとの交流から生まれた話とわかった。
 一九研究の第一人者の中山尚夫・東洋大教授(日本近世文学)の話「一九の手紙を初めて見た。サービス精神の旺盛さ、人とのかかわりを大切にした人柄が浮かび、作品研究にとっても貴重な資料だ」
 (2006年12月5日21時30分 読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061205i314.htm