ヒゲという記号

ただ、今回のドラマ版『華麗なる一族』でひとつ違和感を覚えたのは、登場する大物政治家、大川代議士(西田敏行)と永田蔵相(津川雅彦)がふたりともヒゲを生やしていたことです。
たぶん、あのヒゲは「昭和の政治家」を示す一種の記号なのでしょう。けれども、『華麗なる一族』の舞台である昭和40年代(西暦でいえば1960年代後半)にはすでにヒゲを生やした政治家というのは少なくなっていたように思います。事実、当時の首相である佐藤栄作にしても、その後、三角大福と呼ばれ激しい権力闘争を展開することになる田中角栄三木武夫福田赳夫大平正芳にしても、田中角栄がせいぜい無精ヒゲをたまに生やしているという程度で、みなヒゲを生やしてはいません(田中にしても、似顔絵などで描かれるイメージに反して、首相在任の前後やその後の写真を見ると、ヒゲを生やした写真はほとんど見つかりません)。いや、それ以前になると、福田と大平はともかく、佐藤、三木、田中はある時期まで鼻の下にヒゲをたくわえていたのですが。佐藤の場合、鉄道省時代にヒゲを伸ばしていたものの、同省の在外研究員として米英に派遣されてから昭和11年に帰国したのち、ある宴席で同僚たちから若いくせに生意気だと剃られたのを機に*1ヒゲを伸ばすのをやめたといいますし、三木も田中もやはりある時期からヒゲを誇示することをやめてしまいました。
ここで私が思い出すのは、ある小説のこんな一節です。

 五味康祐*2
(……)自分の髭をなぜてから、英介の髭を見て、
「おまえ、仕事、投げとるやろ」
 とつけ加えた。
「髭を生やしてる男は、仕事をなげとるで。これは、江戸時代からそうやわ。武士は髭を生やしてへんやろ。生やしとるのは浪人のほうや」
(……)
「じゃ、五味さんは、なぜ、髭を生やしているんですか」
「わしゃ、病気で入院したからや。江戸時代はな、髭を生やすのは病気した、ということなのや。病気だから、権力欲がない、ということやねん。髭ひとつでも、いろんな歴史があるんや」
「そう言えば、国会議員で髭のばしてる人いませんね。うんと偉くなって、銅像になるときは生やすけど」
「そやろ。一週間前の選挙がそうや。石原慎太郎青島幸男、ともに髭を生やしとらんやろ。あの二人、両方とも権力志向が強い顔や。すぐわかるわ」

これは嵐山光三郎の自伝的小説『口笛の歌が聴こえる』(新潮社、1985年)の一節です。作中に登場する五味康祐とは、『柳生武芸帳』などで知られる小説家です。一方の英介はといえば、この作品の主人公で、平凡社の月刊誌『太陽』(作品のなかでは平然社の『太古』となっていますが)の編集者時代の嵐山光三郎自身がモデルとなっています(嵐山氏のトレードマークとなっているヒゲは、20代だったこの当時すでに生やされていたのですね)。
さて、同作で描かれる時代は1960年代後半。文中の《一週間前の選挙》とは、1968年(昭和43年)7月7日に実施され、石原慎太郎青島幸男らが初当選した参議員選挙を指します。この時代はちょうど『華麗なる一族』の時代設定とも重なるわけですが、上記に引用した文と照らし合わせると、やはりヒゲを伸ばした政治家というのは当時すでに稀有な存在であったことがうかがえます。
とはいえ、『口笛の〜』で五味康祐が語っている江戸時代の武士はともかく、明治以降、立派なヒゲが権力者のシンボルだった時期が長くあったこともまた事実でしょう。それはおそらく、いわゆる55年体制のはじまる昭和30年前後まで続いていたものと考えられます。実際、保守合同により自民党の初代総裁に就任した鳩山一郎も、左右の社会党が統一されてからの委員長である鈴木茂三郎や、その後任の浅沼稲次郎も鼻の下にヒゲをたくわえていました。
政治家や官僚など近代における権力者とヒゲの関係については、水谷三公『官僚の風貌』(『日本の近代』第13巻、中央公論新社、1999年)の冒頭でもくわしくとりあげられています。以下、その節の末文を引用して、当エントリを締めたいと思います。

(引用者注―戦後、ヒゲとは縁を切ってしまう官僚や政治家が多くなったことに対して)主権在民と民主主義の世の中では、ヒゲに象徴される「天皇の官吏」の権力や威信は、選挙民やマスコミの受けがよくないという配慮も働いたのだろうか。だとしたら、摂政時代の大正末にヒゲをはやし、最後まで守りぬいた昭和天皇や、立派なヒゲ連中に寄ってたかって詰め腹を切らされ官界を去った柳田國男が、晩年までヒゲを通したのと比べて、多少の感慨なきをえない。

*1:直接かみそりで佐藤のヒゲを剃ったのは宴席に呼ばれた芸者のひとりだったとか。

*2:原文では康祐の「祐」は旧字体(「示」に「右」)。