さあさあさあワニなってキリンなってアサヒなってサントリなってサッポロ〜♪(by.大滝詠一)

 きょうになって突然報じられた「キリンとサントリーが経営統合へ」というニュースには驚いた。
 まあ、両者ともいまや総合的な飲料メーカーなわけだけれども、ビールメーカーとして見れば、キリンは日本最初のビール会社(1885年設立の日英合弁会社、ジャパン・ブリュワリー)をルーツに持つ老舗中の老舗、かたやサントリーは第二次大戦後の1963年にビールの製造に乗り出した新参者である。
 日本のビール業界では、日露戦争後に過当競争を緩和すべく大きな整理統合があり、ジャパン・ブリュワリーの事業を継承して、三菱の出資により麒麟麦酒が誕生した前年の1906年には、札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の三社が合併して大日本麦酒が設立されている。ただし大日本麦酒は1949年、GHQの経済民主化政策の一環である「過度経済力集中排除法」の適用を受け、日本麦酒(現サッポロビール)、朝日麦酒(現アサヒビール)に分割された。
 ともあれ、すでに既存の勢力が幅を利かせ、ほとんど参入する余地などなかったとさえいえる(事実、宝酒造も1957年にビール製造に進出したもののわずか10年で撤退している)業界へ、本来洋酒メーカーであるサントリー*1が飛び込んだのはほとんど無謀に近いことだった、と思う。それは、サントリーのビール事業が初めて黒字を出したのは最近も最近、昨年末だったということからもうかがえよう(参照)。
 そういえば、この5月から6月にかけて東京藝大美術館の陳列館で開催された「資生堂・サントリーの商品デザイン展」を見に行ったところ、展示品のうち初期のサントリーの缶ビールのデザインが妙に印象に残った。それは、シズル感を表現するべく、パッケージにビールそのものの写真を用いたものだったのだが(同様のデザインは現在でも「ジョッキ生」あたりに見られる)、これは当時かなり奇異に映ったのではないだろうか。冷静に考えれば、缶ビールの缶にビールの写真を表示するなんていうのは安易にも思われる(だって、缶ビールの中身がビールなのは当たり前じゃないですか)。
 しかしここにはやはり、新規参入者ゆえの事情があったのではないか。既存のメーカー、たとえばアサヒなら旭日、キリンなら麒麟とすでにおなじみの商標が存在したわけで、消費者は容器が瓶から缶に変わっても一目見ただけでビールだとわかったはずだ。だが、当時のサントリーは洋酒メーカーというイメージが圧倒的に強く、ウィスキーと同じ商標を表示しても勘違いされる恐れがある。となれば、どうしても他社とはまったく趣向の異なるデザインを模索せざるをえなかったのだろう。
 いずれにせよ、サントリーは、喉が渇いたときに思わず手に取りたくなるような直裁的なデザインを用いて、感覚に訴える手法をとったわけである。もっとも、この「感覚に訴える」というのは、商品デザインにかぎらずサントリーの広告全般に――それこそ山口瞳開高健などを擁した「寿屋広告部」の頃から一貫して――いえることかもしれないが。
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 今回のニュースについては、次のブログのエントリが面白かった。キリン+サントリーとアサヒ+サッポロと、両者のビール系飲料の事業シェア(昨年の統計による)をそれぞれ合計してみたところまったく同じ値になったそうです。

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 なお、当エントリのタイトルの元ネタは、これ。

大滝詠一「Let's Ondo Again」

*1:ちなみに同社がそれまでの寿屋洋酒店から現社名に改称したのは、まさにビール製造に進出した年のことである。